2016年7月11日(八段語録2836)
渇望(7)

 今度の風邪には焦ってしまいます。かれこれ三週間の間続いているのですから、入院をした方が良かったのかと思うくらいでした。大げさのようですが、人生初めての経験なのです。どんなに健康が、有難いかという事を身に、染みて感じさせてもらっています。それでなくても早く回復する事を、懇願するような期間に入ってきたという事です。近くの清水外科に通って、薬をもらったのですが、全く効果がないのです。それでも、同じような苦しみをしている人がいるので、救われるという事なのです。人は自分と同じ苦しみをしている人が、隣にいると、安心するのでしょうか。北山事務局長が、私よりも早い時期から、咳こみ、体調が悪い状態が続いているのです。聞けば、私と一緒の症状なのです。そして、最近、事務局の笹夫人も、同じような症状になっているではありませんか。この事務局は、何か悪い菌が、付き纏って離れないという事なのかもしれません。家に帰って、床に横たえると、肺が呼吸と共に音を出すようです。喉の腫れが、喉全体を覆い、咳き込むのです。それが続くわけです。それだけでなく、菌が耳まで上昇して、中耳が腫れあがっているようでした。踏んだり蹴ったりとはこのような事かと、情けなくなってきます。いつもと稼働率が半分以下という事です。
 さて、今日は月曜日という事で、教室は全部お休みです。気持ちも焦らずに済みます。本来ならば、道場生が成長すれば、私も嬉しく思うし、壁に道場生がぶつかっていれば、同じように悩む姿勢はあるのです。それを風邪は、遮るという事です。またこのような時に、東北の師範の訃報が、入ってくるものです。知らなければ良いものの、私より若くして亡くなったという事でした。健康でいる時は、道場生と同じような気持ちになって、動じ静ずることができるのですが、ちょっと、今は、個人的になってしまいます。それでも、気持ちが楽になった時には、道場生と和するような気持ちになり、染まって歩みたいと思うのです。この身体が、何とかなれと思うばかりでした。このような状態の時こそ、自分の信念を貫くという事でしょう。
 それでも、身体があるという事は有難い事です。魂だけになれば、道場生と共鳴する事が出来ないわけです。まだ、道場の中心として、存在している訳ですから、感謝しなければならないという事でしょう。どんなに肉体が辛かろうとも、道場は私の本質的な土台という事になります。そして、その土台の上を、運行する事が出来るのです。この風邪による限りない苦痛も、いずれ収まるという事です。静かに悲観的な事も、前進的に捉えようとする訓練であれば、何の問題も無いという事です。そのような発想であるとするならば、風邪も疲れも意を介するとなく、悲痛な顔をせずに明るく振舞という事です。早く健康が回復され、良き状況を、捕まえることができるようにと願うばかりです。焦らずに風邪を根治するという事で、一つの栄光を備えた本然の姿に戻していきたいと願うばかりです。力強い肉体を再び取り戻して、我ならぬ我の為に、全力を傾けていく事が出来るようにという事です。
 ぐだぐだした文章になりましたが、本来の状況に回復できる、肉体を待望しながら、今日の歩みを記憶、に留めておきたいと思うのでした。