2016年7月10日(八段語録2835)
渇望(6)

 旅の最終日、あっという間に三日間が過ぎてしまいました。レストランで朝食を取って、旅の終わりという事もあって、運転は、慎重になります。朝から帰路へ向かうのです。当然、暦の上では、七月に入って、十日経過している訳ですから、当たり前ですが、夫婦として気持ちの上で、下半期の始まりという事です。来月には、アメリカから息子の嫁の茂奈さんの家族が我家にやってきます。一階の応接室兼台所の、インテリアの模様替えが始まりました。今回は、茂奈さんの家族全員を母屋に、宿泊してもらうという事です。そんなわけで、妻からトイレが何とかリフォームできないかというリクエストがありました。もう二十年以上も使用しているので、水回りという事もあって、床が柔らかくなっているという事でした。仙台ニュースカイマンションで、同じ理事をしている佐々木インテリアさんに、お願いしました。電話があって、展示品のトイレがあって、格安で取り付けてくれるという事でした。展示品は、トイレに入ると自動的にふたが開くものらしく、最新のものだそうです。我が家にもトイレ革命の波が押し寄せてきているという事でしょうか。
 さて、今回の旅は、私の肉体が弱っていても、妻の千順さんの心を解放させるような気がしました。たまには、妻の気持ちに寄り添って、頭を下げて、日頃の感謝の気持ちを表すのも大切な事だと感じたのです。我が家を切り盛りし、苦労している訳ですから、私自身に高慢さがないように、良き態度を示すことができる、旅になったという事です。旅をして四六時中一緒ですから、あらゆることを話し合う事が出来ました。このような環境は、会話の中で、何もかも、報告せざるを得なくなるという事です。何もやましい事はしていないのですが、もし一致していない事があるならば、調和することができるようにと、願うばかりでした。肉体の限界が近づくような、風邪も真っただ中なので、虚勢を張ることも無く、素直に、家に帰ってからのプログラムを話し合うようになったのです。この旅は、来月は忙しくなるという事から、エネルギーを蓄積するという事になったのです。
 ところで、妻との会話をする中で気が付くことは、ある知識・主義・主張・観念は、全く何の益にもならないという事でした。女性の話は直感的に、間髪入れずに飛び込んできます。言葉にならないような表現という事です。それもう、素になって心を同じくする事を願われるという事です。私達夫婦が築いてきた内容を、再び思い起こして、心に備わっていることを、単に話すという事のように思うのです。かっこの良い理論は、一切妻との話では無意味であり、かえって邪魔になるのです。そのような姿勢こそが、新しいこれからの人生設計に、役立つように思えるのでした。格好つけても、妻の千順さんには通じないという事です。家に帰って来てからの話は、息子夫婦の結婚式の事でした。名簿の事、費用の事、大まかな内容を煮詰めるという事でした。もちろん、結婚式場のスタッフと息子夫婦は、詳細に打ち合わせているようでした。
 三日間の旅をして、再び夫婦の新たなる取り組みができるエネルギーを蓄積したようでした。旅は、日常と違った何かを再創造できるようです。このような妻へのサービスは、思いたっときに、必要なのです。そんなことを考えていました。夫婦は良きパートナーです。