2016年7月9日(八段語録2834)
渇望(5)

 旅の二日目、ちょっと咳がむせるのですが、それでも二人で、朝食です。妻の千順さんにも、風邪をうつしてしまったようでした。それでも女性は強いのか、何とも跳ねのける勢いなのです。まじまじと相手を見ながら、見ず知らずの二人が、共に人生を共有しているのですから不思議です。昨日も一緒に枕を並べて休んだのですが、実に自然なのです。お互い寝息が遠のいて、朝を迎えてしまったようでした。お互いの気持ちが生命を繋がりを、息づかせ、愛情が通じているという事は、実に自然な事な事のように感じてしまいます。何の違和感もないのです。人生修行者として、生きる道を選択してきましたが、その結論が、個人での肉体完成や、魂の成熟という事ではなく、夫婦としてお互いの調和なのかもしれないと思うのも不思議ではないのです。それが追求してきた夫婦であれば、真理であり、それに満足という事でしょう。
 さて、旅の運転で疲れているという事もあって、全身マッサージをしてもらいました。それが三十分にも及んだのですから、頭が下がります。妻の千順さんの内心は、わかりませんが、尽くす事に、全く何の違和感もいない様子です。もちろん、実家の御両親を大切にしていましたし、私の両親に対しても実の娘のようでした。今はお互い、父親を失って母親だけしか生存していないのですが、会話が弾んで、お互いの両親の思い出話に至るのです。そして、両親を初めてとして、家系の先祖の事を、意識した会話になっていったのでした。午前中は、テラスのような喫茶店で、外の風景を満喫していたのです。土曜日という事もあって、水上バイク・水上スキーを楽しんでいる、若者が大勢いました。遠くからでしたが、波しぶきを立てて、エンジョイしているのです。梅雨晴れの晴れ渡る一日を楽しんでいるようでした。
 ところで、妻の千順さんは、私が責任を持ってお願いする事に対して、貴重に感じてくれるのです。話を受けている千順さんの責任感は、私が話すことに対しては、貴重に思ってくれるのです。むしろ話す私よりも受けて止める千順さんの方が、責任を重く受け止めて動いてくれるという事です。私の話をする時は、一時でも、受け入れて動く姿は継続しているという事です。何事も真摯に受け止めて、保存してくれるようです。それだけに、妻に黙って、勝手に私が行ったことに対する叱責は、半端ではないのです。もう口を三日も聞いてくれないという事はざらにあったのです。そのような意味では、私から受けた愛情は、口に出さないまでも、いつまでも保存しているようにも思うのです。そのような話をちょっとしたのですが、ただうなずくだけで、心が空っぽになっているようでした。ただ、話すだけで、私の空虚な気持ちの心を、満たしてくれるようでした。
 そのような事を考えながら、妻を休ませて、一人外で散策に出かけました。愛情と生命のカギを探すまでもなく、夫の私にカギがあるのだというと感じているのです。何か妻が私のカギを受け止めて、愛情の門を開いてくれているように思うのでした。山の頂上に着くと、風が爽やかに流れていました。結構風邪気味が続いているので、時間をかけて登ってきたのです。汗をかいて、そのまま降りて、風呂場に直行です。何とも言えない心地よさを身体に感じるのです。