2016年7月8日(八段語録2833)
渇望(4)

 気分転換を図って、妻と二泊三日の旅に出かけました。下宿の事は、長女が快く引き受けてくれました。風邪で体調が思わしくない理由を、妻とのコミュニケーション不足と位置付けたわけです。まるっきり検討違いである事は、大人の私には、分かっている訳で、実に良いこじつけという事です。それにしても、妻の千順さんとの旅行は、久しぶりです。心が復活するのです。食事を準備して貰って、いつの間にか、駄々子の少年になってしまいます。それで気持ちは、復活するのです。車・レストラン・ベンチと横に座っている妻が、大切に思えてならないのでした。この人と出会ったのが、確か二十四歳の時ですから、もう少しで四十年の歳月が流れるという事です。妻はどうか分かりませんが、私は一目ぼれでした。アルプスの少女ハイジという印象を、六十歳を超えた千順さんに、今でも持っているのです。かつて、どのような人が、私のお嫁さんになるのであろうと、思った事がありました。とても心が惹かれた女性とも、出会いましたが、全く縁が無かったという事でした。というより、片思いにもならないという事です。
 日々修行をしている私に、突然現れたのが、千順さんという事なのです。運命を感じたのです。出会ったその日から、もうストーカーなのでしょう。当時、北海道札幌の高木師範の道場で修行をしていましたから、広島に出向くこともできないので、良く手紙をよく書きました。長男のバカさ加減でしょうか。私の心に留めた女性がいるという事を、いち早く仙台の、私の両親に伝えてしまったのでした。私の恋している様子を見るや否や、両親が揃って、広島の芸北町八幡に出かけたのでした。そして、千順さんの両親に、「嫁に貰えないか」という事を話したというのです。広島と仙台は遠すぎると言われたようですが、私の意に介せず、頼んできたというのでした。親の動きは、私が考えているよりスピーディーでした。当時、千順さんは、私という男性に戸惑っていたようでした。とにかく、私もしつこいのですが、森家ごと、しつこいという事に、何と思ったことでしょう。 
 家庭を持つまでは、紆余曲折があって、結局三十四歳の時でした。遠い距離でも、いつも近くに千順さんがいるという気持ちは、十年の間続いていたという事です。その間、北海道に来てもらい、道東の旅を二泊三日で過ごすことができました。二人の記念の写真が、知床で映っているのがありました。その旅でも、手を握る事もせずに、純情な気持ちで過ごしたのでした。そして、純粋に慕った初めての女性が、今でも私の隣に座っているという事です。奇跡のように思えるのです。風邪を引いても、空気のような存在の千順さんではなく、今でも恋愛の対象なのです。惚れすぎていると言っても過言ではないのです。残っている人生も共に歩むことができると思うと、胸がときめきます。千順さんが隣に座ってくれているから、この道を歩めるという気持ちになります。
千順さんの愛の力で、人生導かれ、普遍な気持ちで、愛情あふれる家庭を味わう事ができ、長年の思い出が骨肉に打ち込まれているのです。二人には、共に生命の権限を持っているように思うのです。もちろん、能力の権限、創造の権限と、あらゆる権限が具備されているように思うのです。これからも最高の刺激を共にするであろうと思うのでした。