2016年7月4日(八段語録2829)
熱望(25)

 昨日講演をして下さった先生を、秋保温泉にお連れさせて頂きました。もう七十歳を越えて、肉体も人工透析をされている状態で、仙台までおいで下さったと、頭が下がる思いになりました。その姿勢は、御夫婦で一緒に行動をされて、仲の良い関係に驚かされます。良い人との絆が、私が出会う人に、このように仲睦ましい人達を、多く持たせてくれるのです。どんな先輩でも、私としては、柔和謙遜な姿勢に戻されるのです。決して上から目線で話をされないのです。世の中も為になり、世の中で尊敬を受けられる人は、決して自分を誇るような人達ではないと思うのでした。自分を偉いと主張するような人ではないのです。本当に尊敬を受けるような人の姿は、ちょっと違うと思うのでした。一緒に食事を共にして、温泉にも入浴していただいて、すぐにホテルの予約が取れていなかったのです。それで、そのまま根白石の別荘にお連れさせて頂きました。池浦夫人が就寝の準備をしてくださいました。それでも、イギリスの話、イスラエルの話、様々な分野に至る会話で盛り上がって、結局お休みになるのは、十二時を越えてしまいました。いろいろ話を聞きたかったので、無理を承知で、付き合って頂いたという事でした。
 さて、夜が明けて、朝日が昇ると、里山の田園の風景や、山々の美しさに見惚れておられました。東京の街中では、決して見ることができない光景です。聞けば、日本橋近くにお住まいという事で、自然を御夫婦で楽しんでおられました。年齢を重ねた老夫婦を大切にするのも、私の務めであろうと思えたのです。高度成長時代の団塊の世代だけに、自分に厳しく、黙々と苦労している様子を、伺い知る事が出来ました。若くして海を渡り、ヨーロッパや中東で生活をしておられるので、私とは違った感覚をお持ちでした。言語の問題もあったでしょう。目をつぶり、唇をかみ、舌をかみながら過ごしてこられた、人生でもあると思うのでした。
 日本に帰って来てからも、人生を開拓していく勢いは、目を見張るものがあります。極限の御事情もあったのでしょう。一日の生活の中で満足するような姿勢ではないのです。その姿勢には、柔和謙遜な姿勢を持ち合わせて、それでいてキリットされているのです。何かに生涯を捧げたかのような、雰囲気を感じさせていただきました。私としても、そのような方を別荘にお迎えして、おそれかしこまるような気持ちになります。また、お泊りになって頂いたことに、感激してしまったという事も事実でした。たまには、大先生のような方と出会って、自らを反省する時間を持つという事も、必要であると思うのでした。
 私も温泉に入って、お話を聞いて、就寝したのですが、咳が止まらないのです。今回の風邪が長引くのは理由があるのです。今年から、トレーニングを二時間と設定して、無理してきました。体調が悪くても、継続し続けたのです。結局肉体が悲鳴を上げたという事です。若くないのですから、心を静めて、ちょっと余裕を持ってトレーニングに励めば、三日と架からず治っていたはずであると、これも反省です。お昼近くに、仙台駅までお送りしました。仙台市が一望できる国見を通って、広瀬川の橋を跨いで仙台駅に向かったのです。仙台の緑が多く、杜の都の成り立ちを愛ででくれました。おそらく、来年もお迎えできれば、私の姿勢も正されると思うのでした。