2016年6月30日(八段語録2825)
熱望(22)

 気が付けば、上半期も今日で終了という事になりました。極真会館宮城県本部の目標も、明確にスタッフに伝達して、それに向けてのあらゆる戦略を自主的に立てるようになってきました。私のスタッフに対する意識は、性善説であります。それ故に、一人一人の素晴らしい活動内容が目に浮かぶのです。私の気持ちとしては、「スタッフ一人一人を慕う心を持たせてください」と願いばかりです。決して、悪いという事例や、態度に目が向かないのです。もちろん、クーデターが起こるかもしれません。しかし、それでも信頼を置くのです。自分の心を、どのようにしているかというならば、幼子のような心を持たなければならないと思っているのです。素直に、私は、感じている、今の極真会館宮城県本部の課題を話すのです。今までは、その気持ちを、自分で行動していたのでした。行動したのち、説明するという姿勢を取ったものです。開拓時代には、それで良かったかもしれませんが、組織が確立するようになると、今までのように、一人で決定するという事をしなくなったのです。
 私の考えていることを、スタッフに話すのです。もちろん、私が行動したであろうとする動きと、全く正反対の時もあります。その事はもう私の関心ごとではないのです。どのような対処内容でも納得するのです。何故ならば、私が願って命令したことに、必死になって応えようとする、スタッフだからなのです。もちろん幼児のような姿勢の私ですから、スタッフに性急に願う気持ちも生まれてきます。それでも、忍耐してスタッフを、欽慕する気持ちになるのです。ある意味で、天真爛漫さを誇っている訳です。それには理由があります。スタッフがあらゆる問題を越えて、成長しているのです。私自身スタッフを大切に抱き、培えば培う程、代表師範の私の基準に従って、成長している姿を見出すのです。そして、私は、重ねてスタッフの、行っている歩みを記憶するのです。
 ところで、道場生の様子は、あらゆる事情を抱えてきているのです。その全部を知れば、私は動かざるを得ないようになるのです。しかし、スタッフに任せることによって、私が動かなくても、スタッフから全て打ち明けられ、間接的でも心を砕くことになるのです。それは、いったんスタッフが解決して、事情を呑み込んだ後に報告してくれているので、良い方向に道場が向かっていく事が、出来るように仕向けてくれるのです。もちろん、私が道場生の師ですから、最終的には決断しなければならない事なのでしょう。しかし、その前にスタッフが地ならしをするのです。財務面から、人材に対する対応、全て地ならしなのです。その対応は例え極端であっても、その中に、生命の蜜を秘めているのです。スタッフの心を読み取るまでもなく、心は枯渇していないのです。疲弊した状態でもないのです。もちろん、誰もが課題を抱えていることは、当然のことながら、スタッフが私を支えるべく集まってくれているのです。自分たちの事情を差し置いて、投入してくれているという事です。話の内容は、道場生の事情を中心とする、生命の通った会話になるのです。
 極真会館宮城県本部も、一歩間違えば、すぐに崩壊してしまうかもしれないのです。しかし、スタッフは私から始まる心の姿勢を整えようとするのです。すなわち帰属意識を徹底的に指導しているのです。私から始まる真なる道場に目を光らせて生み変えてくれているのです。