2016年6月29日(八段語録2824)
熱望(21)

 なかなか風邪が治らない状況に入ってきました。肉体の調子は最悪です。それでも、病院に行って抗生剤を貰って、菌を除去しようとしたのですが、思うようにはいかないようです。肉体が厳しくても、「思う心」は、歩んでいる人生を、慕わしく思うのです。過去も波乱万丈に過ごしてきました。今このように肉体を打たれていても、これからの未来の人生に、心を馳せることができるのです。魂は弱っていないという事なのでしょう。極真の道も、歩み続けてくることができました。若き日は、どんなに苦しい稽古も、継続してきました。いくら険しくても、極真の道を見失わずに、来ることができました。二十代から三十代にかけての選手時代は、夢中で技の練習や、肉体の強化を図ってきました。このような苦しい稽古も全日本の舞台に立つという事で、いくら苦しくても、乗り越えることができました。極真の道に捧げた人生として、「死の行き交うものだ」と、心の中で決めつけたものです。試合に出て、決して、お金になる訳でもなく、ひたすら自分との対話を、繰り返してきました。
 そのような生き方をした私は、このような肉体の試練に、負けるはずはないという信念だけは、残っているようでした。入院でもすれば、すぐに回復するのであろうと思うのですが、日々の生活の中で、消化したいという気持ちが強いようです。生活の中で、風邪と戦う方針を、決めたという事です。このような風邪でも、生命の土台は、しっかりしていると自覚するのです。決して、老人ではないのです。そのような思いになって、当然無理もするのです。疲れが直ぐやってきます。倒れるように寝床に就くのです。それでどうなのかというならば、高熱で汗をかいて、びっしょりなるという事です。敷布団も掛け布団も汗で濡れるのです。それでも生命を、左右するものではないと思うのですから、心は元気という事です。
 ところで、当然、この年齢で人生に終止符を打つという事は、全く眼中にないのです。生きている人生が、慕わしいからなのです。どんなに高熱でうなされていても、無尽蔵に生み出されるやる気だけは、気持ちを覆うのです。とこしえに、人生を歩みたいし、風邪ごときで、留まる事は出来ないのです。まだまだ人生を議論し、天の命ずるままの生き方に、心を寄り添いたいという事です。私の存在を考えると、どのような一日も満足していない事に気づくのです。まだやるべきことが多すぎるし、使命半ばで終了したくないという事です。年齢を重ねても、若き魂は身もだえするのです。今日まで人生の峠を何度も越えてきました。まだ望みをかなえてきているという事ではないのです。自らの望みのレベルに、程遠いという事を実感するのです。
 それだけに、まだまだ苦楽と、共にする妻が存在し、家族が守ってくれているという事でしょう。望みの基準はまだまだ先なのです。このような弱った肉体であっても、炎のような情熱を持ちたいという事です。生きなければならないという使命感を、自分の中に植えつけなければならないと、心深くに残る事が出来るようにという事です。もちろん、肉体には肉体の法則がありますから、謙虚に対応して、生きて任せて頂いている責任を、果たすという気持ちを、強めて生きたのです。最後に闘いに残る兵士となって、充実した人生を、これからも続けていきたいという、気持ちになるのです。