2016年6月26日(八段語録2821)
熱望(18)

大山総裁がこの世を去って、二十二年歳月が過ぎてしまいました。極真が幾つかのグループに分かれて、各グループが今まで、保護されて、発展の土台を、許されて歩んでいる訳です。もちろん、商標問題とか、様々な事件が起きました。お互い批判したこともあるでしょう。壁を築いて、他の団体との関係を断ち切るという事もありました。過ぎてみれば、それでも、各団体が、あらゆる保護の御手と、発展の土台を許されて、歩んできたという事になります。もちろん、私達は、手塚会長の理念と指導力、そして人格に根差して、極真の道を許されて、歩んできたという事です。そのような期間、格別に私達の歩みは、道場生一人一人に、記憶されていると、思っているのです。数多くの道場生が育っていきました。極真という武道団体が分かれましたが、それでもそれに伴う団体が、発展してきたという事は、本当に良かったと思えることです。
 そのうえで、極真の心をつかみ、修行する者達を、創始者が築いて内容を身に着けることができる道を、開拓することができました。稽古における血と汗と涙を流すことを意に介さず、稽古の時間を、一生懸命過ごした道場生たちでした。ある意味で、未来を極真に投入して全てを捨てる覚悟を、持つような心境に立った者達でした。そうでなければ、それなりの人生の結果を、表すことができる立場には立たなかったという事です。この極真空手道が日本民族より出発して、どのような国よりも発展させ、空手道の神髄を究めんとする人達が、多かったのです。創始者が亡くなった後でも、極真と共に、全ての闘いをやり遂げてきたという事です。大山総裁は朝鮮の方でしたが、日本に帰化して、この日本民族の為に、基盤を築き、世界に広げたという事です。その方から呼んでもらって、武士道精神を叩きこまれ、日本人として、誇りの持てる人格まで、育てて頂いたことになります。
 ところで、「来い」と講演で、大山総裁がおっしゃる願いを、私は受けたのです。そして、極真の道を開拓するように願われたわけです。何度も総本部で、私を追い立てる気持ちも知る事が出来ました。私は有段者になってから、四年の間本部で稽古をし続けたのでした。もちろん、全日本にも出場しました。失望している時に、勇気を与えて頂いたり、やめたくなった時に、「私がここにいる」と威厳を示してくれたり、当時もそうでしたが、今でもそのような気持ちにさせられるのです。もちろん、道場ですから、楽な立場で稽古に、邁進する事は出来ず、平坦な道ではなかったと思うのです。それは、極真が示す道だからと納得していたのでした。それなりの強さを身に着けるようになると、自然な心技体の足場で、学び、悟り、体験することができる余裕も生まれてきました。またこれが、一番充実してきているという、実感も味わったのです。
 結局、稽古は自分自身を自由にしてくれました。それが、修行の結実であるようにも思えているのです。年齢を重ねて、道を究めるという事が、こんなに自由になれるのかと感謝の念でいっぱいになります。この時間も道場生は稽古を重ねて、私のように、この極真の道に保護されて、等しく恩恵を受けながら、人生を過ごすという事も、幸いな事であると思うのです。修行の行きつく道は、自由と安らぎの境地であると、思わざるを得ないのでした。