2016年6月25日(八段語録2820)
熱望(17)

大阪府立体育館は、私の思い出が凝縮している場所ということです。仙台の道場生が、グランドチャンピオン大会に出場するのですから、頼もしいものです。当たり前ですが、師範として、この場に時を越えて実証的に、存在していたという事です。私自身、極真の道を歩み続けてきたという事は、創始者から刺激を受けたのは、当然のことながら、日本武士道の神髄を究めたいという、欲求からという事です。それは、今日の私の直接的関係と絆という事です。そして、ルールよりも、実際の強さを追求する、極真への憧れが私を引き付けたのであり、そのこと自体、私の憧れであったという事です。今回の大会で、二回戦に進む道場生は一人もいませんでしたが、稽古内容を謙虚に反省し、パワーを身に着け、心身ともに一段と強くなった姿で、このグラチャンに、再び帰って来てほしいと願うばかりでした。今度参加すると時は、わき役ではなく、主役として、登場して欲しいものだという思いになったのでした。それだけの修練を重ねることができる、道場生であると確信しているのです。
たまたま一緒のホテルになった家族は、子供達の教育に、多くのエネルギーを貰ったようでした。絶えず挑戦できる舞台があって、そこで切磋琢磨し、より成長を目指すことができるのであれば、交通費や宿泊費は無駄にならないという事でしょう。ここでの大会の経験を生活の中でどのように生かして、有益にに過ごすかは、これからの姿勢に掛かってくるという事だという事です。単なる経験ではなく、生活に応用でき、事情に通じることができる事実になるのです。理解しようがしまいが、時間をかけて、練り直すことができる、良きチャンスを与えて貰ったという事です。 選手として参加させる両親にとって、たえず心配するものでしょう。それで、結果よりも、どの様に成長したかという事が大切になるという事を、わきまえて欲しいと思うのでした。このように道場生に対して、成長して欲しいという思いは、両親もそうですが、それ以上に師範としても、目を細めて願っていることなのです。
とにかく、今回のグラチャンは、良い勉強になったはずです。私が見ていても、パワー不足は否めなかったのです。もちろん、外部大会ですから、強い選手を初めに当てられるという事もあるでしょう。それでも勝利すればよい訳ですから、言い訳には一切ならない訳です。道場生と両親、そして私が同じ時間を、共有していたのですから、このような絆を作ったという事でも、感謝すべき事なのかもしれません。観念的かもしれませんが、将来の道場生の人格を思い浮かべると、精神も、肉体も、あらゆる面で成熟していくという事です。実際は、様々な課題が、教育には願われます。しかし、強固なものとして、極真精神は、道場生を育てているという信念を、持つに至ったのでした。
今日、大阪の街で、道場生の戦いぶりを受け止めながら、心に沁み込んでくる思いが多くありました。実践という空手道を通して、得ることができる内容であると思うのです。現実に生きている世代、やれることを十二分に発揮して、自分自体を新たなる領域まで高めることができるという幸せを肌で感じて欲しいものです。私の感情は、道場生の戦いぶりを観戦して、良き刺激として、与えて頂きました。もちろん、こんなものではないと発奮してくれるというという期待を持った大阪の地を離れたのでした。