2016年6月23日(八段語録2818)
熱望(15)

 警察少年補導員から警察少年指導委員に任命されました。何が変わったのかは、詳しくここでは表現しませんが、一言で表現すれば、風俗関係の店舗に出向いて、少年補導を行えるように、なったという事です。その為に、一日今日は、宮城県警察本部で研修を受ける事になったのです。一日缶詰になりながら、午前・午後の数時間の間、私達の役割について、懇切丁寧に説明をして頂きました。私なりに判断する訳ですが、青少年の非行を未然に防いで、愛の御手でもって、見守って行くという役割と、心得させて頂きました。このような役割を与えて頂いたことに、行政からの信頼を、受けるに相応しい内容を、備えてきたのであろうと、市民としての誇りを感じたことも、事実なのです。それにしても、このような辞令を頂いて、県警本部長の前に、頭を下げさせていただいたので、それなりの期待を担って、取り組むという気持ちになります。
 差し当たって、極真会館宮城県本部は、数千人の道場生を輩出して、今も道場生の人数が数百名を鍛錬している立場であるので、この道場生を正しく導くという事が、目先の目標になる訳なのです。新聞等のマスコミ報道によるまでもなく、青少年に良い環境だけであるという訳ではないのです。更に、凶悪な少年犯罪も増えてきているのです。石巻の少年犯罪に最高裁で死刑を確定させたという事も、驚くことのように思うのですが、諸悪に至らない為の地道な歩みが求められていると思うに、至っているのです。そこで、一体どのようにしなければならないかという事を検討するのです。もちろん、繁華街を回り、補導活動を推進していく事が必要になります。しかし、それ以上に、青少年の子供達の手本になるような、人生の歩みをしなければならないのではないかと思ってしまうのです。行動で分かってもらい、心で体得してもらうという事です。
 ところで、心と体で模範とした姿を示すには、私自身、不足という事しかないという事です。この年齢になっても、これでよいという気持ちにはなれないのです。今でも、私に訓戒をして下さる方が、存在する事を望むのですが、もうあの世に旅立っていのです。その方が右と言えば、右に行ったものです。全ての善悪の判断基準も訪ねたものです。その方は、もう地上に住んでないのです。このような事は、悲しいし、切ないし、もどかしいのです。もうどうしようもない訳なので、正しく反応できるようにと、思う心を持って、極真の道を邁進するのです。確かに修行は疲れるのですが、かつて指導して下さった創始者がいるという事を念頭に置くと、希望が湧いてくるというものです。そんな気持ちを抱いて、研修会に参加させて戴きました。
 結論として、この乱れた世の中で、私が正しく生きることができるという保証は全くないのです。それだけに、このようなお役目を頂いて、我が身を振り返りながら、責任をお与えくださった事に心から感謝するのです。社会を良くしていこうとする役割の、警察少年指導委員という立場を堅持して、社会貢献に、身を挺していきたいと思うのでした。新たなる気持ちを、このように役割を頂いたことで、更に強化する思いになります。 今日一日、疲れましたが、実りのある一日として、過ごさせていただきました。