2016年6月21日(八段語録2816)
熱望(13)

a対象者 6月3日
 相手の、生涯の人生に耳を傾けます。生まれ育った環境,結婚した時の事、戦争の事、様々に話してくれます。何でも話してくださる,信頼関係が出来てきているようです。部屋で会話をする私の姿勢は、心の扉を開いて、本人の存在が実感できるようにと、心がけています。今日、息子が訪ねてきても、話しすらしないと嘆いていました。そして、暴力を振るって叩くときもあるというのです。更に、突然首を絞めようとするというのです。そんな息子の事を話すときには、悲しい顔になります。私も、すかさず、息子の肩を持つわけでもないのですが、息子の立場から、父親の事を思った時、様々な心の葛藤が生まれてくるに違いないと話すのです。少しは心を、落ち着けてくれます。そんな話をしている内に、息子が、私が犯した罪を起こさないために、こうする以外になかったという事を、私に話しだします。保護司としての言い分はあるのですが、静かに受け止めて聞き流します。そうしているうちに、心が和んでいるように思えるのでした。

a対象者 6月24日
 老人ホームに出かけると、花壇の草むしりをしていた対象者に出会いました。健康を保つために、野外に出て、草いじりをし、身体を動かすことをするというのです。今日は梅雨空でも、雲の分け目から太陽が輝いて、対象者も元気そうでした。多くの老人が、ホームで行くべき方向を知らないように過ごしているようですが、対象者は償いをするという気持ちを前面に押し出しているようです。贖罪が終わるまでは、決して倒れないという覚悟なのです。この上ない悲しい事実を乗り越えて、あえぎながら歩んでいるという事を、保護司として感じるのです。老人として存在しているようでも、はっきりとした心と共に、「家族と一緒にいるのだ」という意識でおられるようでした。どんな犯罪を犯しても、真の良心があるという事だと思いました。一緒にエレベーターで二階の部屋に上がって、いろいろ話をしました。部屋には本が多数並んでいて、よく本を読んでいるのです。高齢者でありながら、新聞に目を通して、読書をする習慣はついているようです。テレビをつけている時は、ニュース番組が主だそうです。最近の世相を話し、このままでは日本は「どうなってしまうのだろうか」と話してくれます。とにかく、話してくださることに関して、上から目線ではなく、対象者の立場の、悲惨な自我の姿に身を置き、一緒に嘆いたりしていました。高齢者でありながらも、例えあの世に旅立った妻に対しても、大切にするような心が見えるのです。私も、「あの世では一緒ですからね」と慰めにもならないような、答えを出すのでした。六月は寒暖の差があって、健康管理には大変だから、気を付けるようにとお話してきました。
 私が話した事の一つに、「気を確かに持ってこそ、生活する意味が分かり、生きている価値が分かるようになるのですよ」と話しかけました。なかなか、保護司として、命の尊厳を語る事は難しいと思うのですが、それでも大切にしようとする心情で接してきました。息子とも、関係がギクシャクしているだけに、心の扉を対象者に開けることができる裁量があればと思うのでした。