2016年6月15日(八段語録2810)
熱望(7)

 今日は、ボランティア活動で交通指導隊での交通整理、小中学生の登校時の安全に当たりました。こうして、地域に貢献できる立場で、歩めることに感謝という事です。極真会館宮城県本部のベースと、妻の協力がなければ、奉仕活動など、おぼつかない事です。一つ歯車が、噛み合わなくなるならば、実行できるものではないのです。そのような恵まれた環境で、地域に愛情を施せるという事に感謝という事です。ボランティア活動の交通指導隊の立哨では、体面とか威信とか考えないのです。地域に必要な事であるという一点で、率先して携わっています。全国のニュースでも報道されますが、一歩間違えば、乗用車が児童の列に突っ込んでくるかもしれないという、緊張感を持って対処しています。考えて見るまでもなく、かつて、隣の家の町内会長の推薦で、消防団に入隊したのです。その事をきっかけに、保護司・覚せい剤防止指導員・少年警察補導委員など、様々な奉仕活動をしてきたのでした。
 報道を見る限り、暗い事件が現実にはびこっているのです。安全と安心を守ろうとする意識が必然と強くなるのです。善意の志が無ければ、決して地域を守れるものではないのです。ましてや、安全と安心は、決してお金で買えるものではないのです。確かに、何の力もない私ごとき、一市民でありますが、極真会館宮城県本部と、家族の協力を得ているという一点から、地域の人達に顔向けできるようにと思っているのです。私の子供時代は、当時の大人たちが必死に守ってくれました。どのような気持ちで守ってくれたかという事を、こうしてボランティア活動をしてみて、伺い知る事が出来るというものです。それ故に、私としては、愛情を慈悲に変えて、自らの、ありのままを、貢献の一助にしたいと思うのでした。それが先人達への恩返しという事です。
 ところで、老人となる年齢まで来ると、生かされた感謝の気持ちを、地域社会に差し出して、正しい事だけを実践することができるように、祈るようになるものです。私が選択した極真空手の道は、多くの人に否定されてきたのでした。稽古最中も、喧嘩空手と罵倒されて、気掛かりと憂いに沈んだ時もありました。人にバカにされても続けてきた極真の道でした。その時に仲間たちは、タクシーの運転手・板金工・地下鉄の作業員等、様々な社会の底辺を支える人たちと、言って過言ではなかったのです。それでも何もない私が、極真空手の伝道者として故郷に帰ってきて、このように受け入れられて、今まで来ることができたのですから、恩返しをしなければならないという気持ちが強くなります。いつの間にか、地域の人達が捕まえてくれるようになり、慰労して下さり、更に、様々勧告してくれるようになりました。つまり地域に溶け込んだという事なのです。
 今でも、地域の人達は、極真しか知らない私の無知蒙昧な姿に、いろいろなアドバイスを下さいます。色々な面で困窮するのですが、必ず助けてくれるのです。そのような温かい環境になっているのです。今後の私としては、地域の人達と、スクラムを組んで、地域の安全と安心に、心血を注いでいきたいという思いになります。日々愚かな事にハマることなく、破綻することが無いように歩むのみなのです。今日も自らを爆発させて、善意の心を燃やし、愛の波動砲を送り続けていく事が出来るようにと思うのでした。