2016年6月8日(八段語録2803)
希望(38)

 極真の道を究めたならば、このようになるのだという実体を、目指そうと努力しているのです。それが、道場生の願いに適っているかという事を、検討します。言えることは、理想の極真精神を抱いて、歩み続けている存在であることは、間違いないのです。まだまだ道半ばというところが、本音なのです。もちろん、悩み苦しんできた私の心に、入っていただくまでもなく、ひたすら、理想的な姿を目指している、存在であることに、間違いはないのです。それを、表現しなければ、誰も分け入る事も出来ないという事なのです。私がどのように極真の道を歩んだかというならば、汗と涙の稽古を土台に歩んだという事です。強くなるというパワー空手の原点に立って、「男として生まれたからには」という精神で、きたことは間違いないのです。それで、自分自身は納得してきましたが、正しく世間に公表できるまで、はなっていないという事も事実なのです。まだまだ影響を与えてきた質的・数的基盤は、数千人と一握りであるのです。
 さて、私は、極真という一つの方向性に一致した道を歩み続けてきました。後ろを振り返るまでもなく、途中で挫折してしまった人を見続けたのです。そのたびごとに痛手を受けてきたという事です。反逆していった人を、哀れんだりもしました。それなりに説得、調停して、続けるように話した人も何人もいました。それはそれで、頑張ってもらいましたが、本人が積極的に、この道を歩もうと決意しない限り、無為に期してしまうという事も、度々感じてきたのです。それでも、一つの道場という、形態を築いてきたことは間違いないのです。それに従い、それを望んでいる道場生に、恩恵が行き届くように努力を重ねてきました。このような観点で、我が身の骨髄を切り裂き、愛情ある環境と、事情の中に希望を見出していく事が出来るように、対応してきたのです。道場生に、極真の道を提示するために、私は存在するという意識を、持ち続けてきたのでした。
 ところで、ここに立っている代表師範が、どの様にこの道を、乗り越えてきたかという事は、誰にも理解されない事です。疲れもせず中断することなく、明日への希望に満ちた歩みをしようとしてきたのです。困難な道を逃避せずに、直視しながら直行することができるようにしたのです。自ら自信を備えたのも、昔のように思い出されるのです。まだまだ悟りは開かれていないのです。だから人生が残っていると自覚もするのです。確かに今の私は、過去の自分とは違うと、言い聞かせているのです。極真精神に恥じないような日々を、送ろうとしているのです。どんな現実にも負けまいとしているのです。代表師範としての私が本物であるのかペテン師の如く偽物であるのか、その結果を見て分かるようにしたいという事です。ペテン師的要素が強いという指摘を受けても、忍耐するばかりです。
 今も思う事は、太陽の光にならなければならないという事です。また、大海に対しては、灯台の使命を果たさなければならないという、自覚もするのです。今日、明日、未来に向かって進む極真の化身として、歩んでいきたいという事です。どれだけの道場生が、この道を真剣に歩もうとしているのかは、分かりませんが、私と共に歩むスタッフメンバーは、真剣に受け止めて、どのようにしたら極真の極意を身に着けていく事が出来るかという事を、日々見つめていると確信しているのです。今日も闘の真っただ中に、身を置くのです。激しい気性ですから、直行のみという事です。