2016年6月6日(八段語録2801)
希望(37)

 妻をないがしろにすることなく、重大な決定事項を相談して、物事を進めていく事が、平和の起源になりうる家庭という事を悟りました。私は、ともすれば、面倒なので、さっさと重要事項を決定して、事後報告をする癖があるのです。それは楽だからです。やはり、どんな良い事でも、何の相談もされずに、事を推し進められたとしたならば、妻としては、立場を失うという事でしょう。その事が引っかかって、いつでも繰り返し、不満を述べてくるのです。このような、負の状況を作らない為にも、今回は、よく相談して、理解を得て決定するというプロセスを設けたのです。結果、あれほど、反対を重ねるような姿勢が、夫の主張を認めて賛同するようになったのでした。私としては、勇気がいる事でした。隠すことなく、相談するという事のプロセスを大切にする教訓を学んだのでした。まさに、還暦過ぎてからの学習内容でした。夫婦が決裂することなく、平和の起源となりうる家庭としての第一歩という事でした。
 このように、教訓としては、自己を中心としていれば、結果的に孤独な身になるかのようです。妻に批判されることになるのです。この五年余りの期間、日常生活の環境を通じて実感させられたのでした。しかし、妻に相談した場合、無限な価値の内容を共有することができたのです。決して一人寂しい立場に立つことは無いのだという事を感じたのでした。とにもかくにも、妻を信頼するという原点に立つという事です。そうすることで、夫婦として健全になれるのです。まさに、愛の起源を成立させることのできるところが、夫婦という事なのです。そうすると、震災後五年の間、重要な事は、孤独に一人で決定してきたことに対する、反省という事になります。愛の起源とは、程遠い立場にいた自分自身であると、自らを批判するのでした。妻と共に一緒に歩める相対的な関係の絶対圏があるという事でしょう。ちょっと面倒に思っていたのでした。
 ところで、夫婦は男としての役割、女としての役割が歴然としてあるのです。人格の価値も、そのような立場を決定して存在するという自覚をするのです。お互いに、そのような立場にいるようになると、自分自体の心の中は、平和であり平安な状態になるのです。結果的に家族の為に頑張ったとしても、相談を受けなかった妻は、決して恨みを解くことは無いのです。それがこうじて、あらゆるところで、不満が噴出してしまうという事になりかねないのです。気持ちの良い夫婦であるためには、お互いの心の中をしっかり確認して、報告して歩むべきであるという事を、今さらながら感じさせられるのでした。もう一度、夫婦として歩む道理を悟って、生活できるようにと願う自分が存在するのです。妻の存在の価値を慕わなければならないという事です。面倒くさがりな、私と決別して、お互い尊重することのできる、価値ある夫婦になろうと、決意を固めたのでした。
 妻に久しぶりの笑顔が戻ってきました。しっかり熱心に妻に話したからにほかなら二のです。どんなに良い事であっても、秘密主義はもう排除して、妻に理解してもらうという作業を加えることにしたのです。このような行為に至ると、感謝の念が増えるのだという事を自覚するのでした。今後の方針は決定しました。妻とよく相談するという事です。あたりまの事ですが、ここに今日は決意するのでした。