2016年6月1日(八段語録2796)
希望(32)

 私という道場の責任者が、どのような指導者像を目指すのかという事です。代表師範として、立っているからには、道場生全体の、希望にならなければという、気持ちが強いのです。できる限り、尊敬される立場に立つ、努力をしてきたのでした。ロケットの発射台になれるように、道場生の空手道を追求する、動機にもなり、過程にもなり、結果にもつながるような指導者を目指すという事です。代表師範と、道場生というつながりを考えると、同じ表現になるのですが、動機も私にあり、過程も私にあり、結果も私にあるという指導者像を目指そうと思うのです。指導者としての私に出会う事になり、空手道という縁で、私を求め、極真空手を慕うようになったのです。それ故に、信頼の起源として、私と共に関係を持てるような、そんな存在になれるように、努力を重ねたいという事です。道場生が入門して数か月も経つと、言うに言えない程、しっかり成長してくるのです。それは私の喜びであり、感動が込み上げてくるのです。
 この心境は、何処に当てはまるかというならば、原点はとしては、家族の延長に当てはめているのです。道場生を懐に入れて、育て、息子・娘として愛情を注いでいるというイメージなのです。極端であると思うのですが、道場生を懐に抱いて、生命の糧を道場生に、余すところなく与えたいという事です。そして、持っている今まで、継承してきたす全てを相続させて、道場生が望む未来を、輝かせてあげたいという事です。今まで息子・娘を育ててきましたが、これからは道場生を育てていくという、意識が高いのです。もちろん、二十年にも及ぶ道場運営ですから、成人して立派に育った道場生も多いのです。それは私の財産であり、もうすでに、私を越えていっているという事なのです。もう私が培ってきた生命の糧は全て吸収してくれて、新しい境地に立っているという事です。それが嬉しいのです。そのようになっていく道場生のお陰で、私の類似的家族が限りなく増えていくのです。
 ところで、私が何に情熱を抱いているかというならば、道場生を通じて、未来に対し望みを抱きたいのです。道場生が頑張っている未来を望む立場が、私が探している位置なのです。そのような尊い立場を、築き上げたいという事です。私は道場生を放さず、子供達に頬ずりし、成長する様子を、眺めていきたいという、気持ちになるのです。このように極真の道に集ってきた子供達を、最高の恩恵を与えてあげたいと思うのです。人知れず、静かにこのような道を開拓してきました。誰にも知られることなく、心の世界の開拓を心がけてきたのです。普通は、技術を教えて終わりという事なのでしょうが、それはあくまでも入り口であって、深い絆を築いていくという事に、全力を傾けてきたのでした。このような気持ちを、極秘で求めてきました。普通の道場の師範であったならば、技術を教え、強くなる事だけで終了してしまうのですが、そのような事は、眼中になかったのです。限りなく高い理想を、抱きながら、何千人という道場生を、愛情を持って輩出してきたのでした。
 そのような事を意識して、今月も出発です。月初めの、しょっぱなから、小学校に誤りに出かけました。不適切な事に対する謝罪です。もちろん、言いたいことは、心に秘めてという事です。まずは、心から過ちを反省という事です。