2016年5月31日(八段語録2795)
希望(31)

 今日は歓喜に輝く日にはならず、心の葛藤が付きまとってしまいました。正しく、整理して出発しなければという事です。正しいと思って、行った行動ですが、行き過ぎたことで、ひんしゅくを買ってしまったのです。日々、行いを正しくと思っていますが、他人から見て、とんでもないという事になる時が多々あるのです。時に自分を蔑んでしまい、惨めであるようにも思うのです。代表師範としての権威と栄光があるのに、どうしてこのような事を、言われるのかと憤慨してしまうのです。ちょっと敗者の苦い一杯を、一人、飲むような悔しく思う事もあるという事です。ちょっとした、軽挙妄動な行動が、不快な思いを周りに振りまいてしまったということです。指摘を受ける根源を作った事実をはっきり認識して、悔い改めるという事が必要になってくるという事です。これは道場の指導者だけではなく、最高責任者としての、私の問題として取り組むべきという事です。今日は、このような事を、頭の中で去来してぐるぐる回っているのです。
 それだけに、朝日の輝き、その眩しい光を感じた時に、全てをゼロに戻し、真っ白にして取り組みたいと思うのです。ちょっとした自らの怒りが、盲目になって、自己正当化をしてしまうという事は避けたいのです。日々単純に、光明の光を、眺めるようにしたいのです。そして歓喜の光となりうるような、一日でありたいと思うのでした。どんなことに対しても強い気持ちでなければ、立ち入ることができないという事を、悟るべきだと心に言い聞かせるのです。社会に迷惑をかけず、更に貢献していくという、心構えを持たなければならないという事です。今日はとても傷つきました。原因は私にあり、種を蒔いたので刈り取らなければならないのも、私であるのです。傷ついた胸をいやすいこともなく、慰労できるものでもなく、一人悶々とするという事でした。まったく持って、反省です。
 ところで、そんなに何を悔やんでいるのかというとなのですが、チラシの配布で、ちょっと指摘を受けたことに対する、反省と憤りということです。そして、私の心の葛藤という事なのです。詳しく述べると、読む人にとって、ばかばかしいという事に、なりかねないので、割愛します。私自身の威信が、立たない事に対する憤りなのでしょう。もう少し肯定的な判断ができるようになれるように、正しい道を通過できるように意識するばかりです。もう少し、ドンと構えて、光明たる太陽の光に、代わる事が出来るような、基盤を作ればそれで済むことです。まだまだ努力が足らないという事で、整理すべき事でもあるのです。今は開拓の時です。一つの端を架ける礎石になるためにも、このような心境では、まだまだであるという思いになります。
 言い訳と、理屈が頭の中を堂々巡りです。そんな中、気持ちで思っていることを、私の尊敬する渡辺博先生に話したのです。返ってきた答えは、第一に、原因は誰が巻いたのかという事、第二に、それは反省しなければならないという事、第三に、枝葉的に派生したことに対しては、どうしようもない事、第四に、潔く非を改めて、前進すべしという事でした。結局、尊敬できる先生に話すだけで、解答が返ってきます。このように何故に、堂々巡りをするのかと思うばかりでした。未熟さを露呈するのでしたが、そこから出発です。