2016年5月30日(八段語録2794)
希望(30)

 いつも雄々しく逞しく生きようと意気込む原点は、どこにあるのかという事を考えます。とうのも、この時間、生き生きしているのかという事が、大切であると思うのです。別に一国の王になっている訳でもなく、由緒ある家柄として、続いてきたわけでもないのです。それでも、いつも私に願われていることは、一人の男性として、しっかりと根を下ろしているかという事であります。また、夫婦として、心を分かち合っているのかという事なのです。夫婦という概念は、とても心を豊かにしてくれます。「共にあなたは私のすべてだ!」という気持ちになります。不思議な縁で出会って、共に尊敬しあう事が出来る夫婦として、人生を共にすることができることが、逞しく生きていく事が出来る原点になっているのです。もちろん、個人として誇りもありますが、夫婦としての絆のレベルは、個人を遥かに超えるものがあります。
さて、世間的には、離婚や不倫、浮気など、様々な事が話題になっています。私の場合、妻との縁を通じて、最大のパワーを貰っていると、感じているのです。それは個人で人生を切り開いていた時とは、比べ物にはならない程の、恩恵を受けているという事です。人生を歩んで、妻と出会って、無限な解答があると思うですが、私にとっては、最高の解答を、導きだしているという事です。それを日々確かめ、確認しながら生きていけるのは、なんと幸せな事であるかと思ってしまいます。誰も切り裂くこともできない、お互いの信頼関係なのです。そのような平和な夫婦の上に、子供達が愛情の根を深く植えて、育ってきたという思い込みなのです。このような事をはっきりブログで表現するのですから、うぬぼれているのかと思われますが、そうではなく、実感なのです。妻に感謝以外の何物もないし、子供達に対しても、生まれてきて育って「ありがという」という気持ちだけなのです。
 ところで、このような発想は、諸問題が降りかかると、破壊されてしまうような発想かもしれないのです。結婚式で永遠の愛を誓っても、何年かすると壊れてしまうという、現実もあるのです。破壊するかもしれない現実に対して、信念を持って乗り越えようとする、船頭のような存在であると自負するのです。結構辛い時もありました。嘆きとやるかたない悔しさを抱いた時もありました。犠牲にならなければ越えられない事も「しばしば」という事でした。しかし、私自体、全ての代価を支払ったとしても、この関係は絶対に破壊させないという、決意の塊で過ごしたという事です。それが、「愛である」と勝手に定めたのです。この作業をして、家庭を守ってみると、愛情に満ち溢れる期間が流れるのです。もちろん、長くは続かない時もあります。それでも、幸福感を味わうのですから、たまらないのです。多くの人は、このような意識を強く持たないのでしょうが、私の場合、決して失いたくないという、信念で過ごしているのです。これは、渇望であり、喉が張り裂けようとも、細胞が麻痺しようとも、誰からも狂っていると言われようとも、守り抜くという信念なのです。
 誰もが、当たり前に思うようなことを、宝石のように扱っているのです。今も実に新鮮な感覚です。そして、これからも限りなく続くであろうと確信しているのです。激しく闘っているので、不倫や離婚とは無縁であると思っているのです。