2016年5月29日(八段語録2793)
希望(29)

 日曜日での、午前中トレーニングを欠かさず、黙々と取り組むのです。愛情が芽生えている家庭を、築いてきたことを誇りにして、日々充実させようとするわけです。三十四歳から家庭を出発して、一男二女に恵まれ、守り続けてきた尊い宝としての家庭なのです。道場生のご両親を眺めても、私と全く変わらない様子の愛情です。結果、家庭を守るために、必要なものを、勝ち取って維持してきたという事です。守る家庭が無ければ、そんなに努力する人生にはならなかったようにも思うのです。仕事をするのも、家族を守ろうとする意識が、先立つのです。振り返えるまでもなく、道場の運営の動機は、まさに息子・娘の教育にありました。それを故郷の仙台で運営された訳ですから、幸せの境地でしかないという事です。私が生まれ育った故郷で、慕わしい大地のもと、家庭を築くことを、追求することができたという事は、幸せという事に他ならないのです。色々なものがありました。振り返って、家庭以上の価値が、この世にあるのかという事です。それほどまでに、家庭に対する執着が、強かったという事です。
 さて、手にしたことは無いのですが、金銀財宝のような物を所有したとしても、持っているという事だけの事でしょう。夫婦の絆、親子の絆、兄弟の絆、それ以上の価値がある訳もないのです。このようなものを、私自身が探していたという事を、今さらながら、気が付くのです。自分の最高の喜びの為に、これを楽しみ、ここで価値を残し、充実させようとする自分自身がいるのです。妻という千順さんと、出会う環境がありました。恵まれて、嬉しい事情が触れ合ったのです。これが、いい出会いだったのです。この出会いで、鉄石のような橋頭保になる事が、出来たという事です。そのような立場から、家庭を営むことができたのですから、新しく自覚して、人生を駆けてきたという事でしょう。まだまだ、課題満載という事は、言うまでもありませんが、それでも、充実した人生を過ごせるのも、家庭があればこそという事です。
 今日は妻と妻の友達を車に乗せて、ドライブです。運転手なのです。そのような雑用も喜んでこなしています。日曜日という事で、羽を伸ばして、ドライブも良いのです。ドライブをしていて、昨日の小学校の運動会に参加しての、感想が不思議に浮かんできます。原町小学校は、私が通っていた小学校であり、子供達も同じ小学校に通っていました。そして、孫の士紀雅が通うであろう小学校という事です。私が通っていた時の事が思い出されます。運動会の徒競走で二位になって、ノートをもらったのでした。子供達も私に似て結構早く走っていたという事も、鮮明に浮かぶのです。そして、孫が通う時はどうであろうと、心を馳せるのでした。私と子供達の時代には、校庭の真ん中に柿木があったのですが、何年か前の台風で折れてしまったのです。それでも、大人達で、柿木応援団という事で、地域が子供達を応援するシンボル名としているのです。運動会での子供達、御両親、そしてお爺ちゃんと、自分の姿を見るようでした。
 そのような事を考えながら、運転手として妻とその友達の為にドライブという事でした。天気に恵まれ、清々しいそよ風を感じながらの運転ですから、気持ちが良いものです。誰もが、願うであろう家族の他愛のない喜びを、ひたすら感じて、過ごせる幸いに感謝という事です。人生有難いという事かなという事でした。