2016年5月27日(八段語録2791)
希望(27)

 今思う事は、極真会館宮城県本部を立ち上げてから、まだまだ満足していないという事です。このようなレベルではない、という気持ちになります。完成度を高めて、しっかり管理運営できるように、願うのです。決して長くはない、極真の歴史です。本物の極真を、目指した歩みが、私達、手塚グループとして続いているのであり、苦労を重ねているという、気持ちになります。私自身も、日々曖昧な事に関して反省を促し、もっと高い人格基準を目指そうとするのです。結構いい加減な面が多いのです。もちろん、完全無欠のように振舞ってしまったならば、誰も助言などしてくれなくなるので、人と和するように心がけているのです。極真ですから、真の人格を目指そうという事です。まだまだ、今思う事は、青少年の枯渇した心に、極真精神を注入するという努力が、足らないのです。
 この道場での、訓練の最終目標は、理想の家庭を、築いていくための訓練という事です。これは、会長の口癖です。もちろん、会長も私も途上である事は、認めるばかりです。それでも家族の絆を、大切にするという意識は、変わらないのです。私の人格で、それなりの教訓を語り、気持ちで、多くの人に武道の精神を、注入しようとするのです。それでもって、社会悪を浄化しようとするのです。もちろん、極真精神の全体的な権限を、代わって担っているという意識はあるのですが、まだまだです。とにかく、極真会館宮城県本部の、代表師範として立っている限りは、力と能力を啓発する努力が、願われるという訳です。それは、総裁に譲渡され、相続させてくださっているという、自覚をするのです。そのような意味でも、今までのような途上に疲れ果てることなく、耐えて残る者としての、生き様をしていかなければならないと思うのです。
 ところで、今年も一年を出発して思う事は、良い事よりも、孤独な立場、困難な立場にぶつかる事が多いのです。五月も終わらんとしている訳ですから、この一年、順調に発展することができるようにと願うのみです。一難去ってまた一難という事でしょう。ちょっと衝撃を受けた事がありました。私と同じ年齢の人が、心不全という事で、無くなったというのです。聞けば、公務員を定年で終えて、これから地域活動に勤しもうとしている時であった問うのです。定年を迎えて、自らの方向が定まらなければ、目的を失うという事もあるし、第二の人生に対して、希望を抱くという事が、いかに難しいかという事を感じさせられました。有能であればあっただけ、一線を退くわけですから、大変なギャップに見舞われるに相違ないと感じるのです。ご冥福を祈るものです。それで、考えてしまうのは、私の場合、モラトリアンの人生が四十八歳まで続いたという事です。一人前になるのに、普通の人の二倍以上は経過してしまったのです。そのような意味では、入社十五年目ぐらいの、中堅幹部という意識が、私には合いそうです。四十年勤め上げると考えても、八十八歳まで、現役という事でしょう。そのような気持ちを抱きながら、困難と試練に立ち向かおうとするのです。
 今日は、軍資金の調達の為に、動いていました。社会での信頼基盤を作ってきたのも、一挙に、戦略を仕掛けることができるようにという事です。もたもたしていたら、時を失ってしまうという事です。更なる戦略を構築しながら前へ推し進めていこうという事です。