2016年5月24日(八段語録2788)
希望(24)

 早朝、千葉市稲毛区へ向けて出発です。六年の間、自律神経失調症の悩みを抱えている友人の娘を、車に乗せて診察を受けに出かけました。その父親としては、もうすでに娘の年齢が二十四歳ですから、何とかしてあげたいという気持ちで、わらをもつかむおもいということです。夫婦と娘ですから、四人で出かけました。平日の高速道路は空いています。五月晴れの爽やかな季節なので、上機嫌になります。この訪問は、妻の千順さんの読んだ一冊の本からでした。心の病気ではなく、生理学的なものであるという、観点に立っている書籍でした。スムーズに首都高速道路も抜けることができ、到着です。先生と家族三人で診察を受けました。実に簡単な内容でした。神経系統と司るシナプスの流れが、悪いという判断でした。神経伝達物質が、バランスよく分泌されていないというのです。脳や体の機能、活動を上手にコントロールすれば、すぐに治るという結論だったのです。かつて、生理学を二年に及んで学んだ経験がある者としては、納得という回答でもありました。要するに、セロトニン・ノルアドレナリン・ドパミンの調整が正常になれば、問題は解決という事でした。
 結果はどのようになるか、一か月後に再度診察を、受けるという事になりました。医師として、あらゆる臨床例から、自信を持っての対応でした。本人と家族の課題を、解決する糸口を見出してくれたのです。解放されたわけではないのですが、薬で対応するので、副作用が起こらない事を祈りながら、千葉の医院を後にしたのです。帰りは、全く休むことなく仙台に帰ってきました。何か、望みの一時が近づいているように、思えたのでした。診察で理解を深めることができたのは、息子と一緒に、医療の勉強をしたことであり、友人の妻の限りない献身の、お陰であると思っているのです。何よりも喜んでいるのは、友人の娘本人という事です。家族にはいろいろな課題があります。それを越えていくのも、人生の醍醐味であると、思えるようになっています。
 ところで、いつの時代も、病気が人を蝕みます。昔は、器官の病気が大きく、多くの人が寿命を失われたのでした。しかし、現在社会では、脳の病気が多発しているようです。躁うつ病であったり、精神障害であったりという事です。それもこれも現代病という事でしょうか。その解決が、心の病気として捉えるのか、脳の病気として捉えるのか、観点が変われば対処法も変わっていくようです。いつの時代も、病という事に関しては、取り組まなければならないという事です。そのような意味では、人間は、何かを解決したとしても、次の課題が降りかかってくるという事に、直面するという事でしょう。それでも、生きている生涯は、満足の行く人生を、過ごしたいという願いは、変わらないという訳です。
 とにもかくにも、人はより幸福を願うという事なのかもしれません。今も病気という人の人生を屈曲させて、傷つけてしまうような事に対しても、時間を割き、解決しようと努力する、姿があるという事です。人はどうあれ、幸福と平和を実感するように待ち望んでいるという事です。死が波打つ環境を打破して、かき分けていくことができる、生命の船を求めているという事なのです。その船に乗り、病気にも対応できる恩恵を、受けることができるように、人は努力を重なるという事です。私も何かしら、病気と闘う事があると思うのでした。