2016年5月22日(八段語録2786)
希望(22)

 五月晴れのような快晴です。澄み渡る青空に、吸い込まれるようになります。グレート仙台、作並街道を行く途中にあります。そこで町内のゴルフコンペに参加してきました。お互いに年齢を重ねて、話題が豊富です。それも私は、高齢者組に入っていましたので、様々な事を聞きました。参考になります。この街の歴史も聞かされました。そして、いつの間にか心が通っているのです。実に不思議です。たった一日、十八ホールを回ると、もうすでに友達なのです。心が和み、コースを回るごとに、子供のように歓声を上げて、欠点をさらけ出すのです。次第に深く絆が結ばれるような思いになります。一緒というのは、共にするという事ですから、生命の息遣いを感じることができるのです。蔵王連峰を見渡せば、頂きに雪を残していながら、周りは新緑に包まれているのです。自然のふくよかな、たたずまいにいる事に関して、自らの頭を下げたくなります。
 さて、人生の闘いは、何といっても人と和することが前提になります。ゴルフ場であっても、朝の静けさの中、心中深い処から、感じまいとしても感じざるを得ない、考えまいとしても考えざるを得ない、生涯について、必ず結実させなければならないように思うのです。蔵王連峰を見上げなら、大自然の声が聞こえてきそうです。自然の清々しさに酔いしれて、心が身体のうちにいるのか、外にいるのか分からなくなるようにも思うのです。生活において、このような整備された自然に触れるという事も、必要であると思うのです。本来の自然に親しみを感じ、自分の本性に親しみ、本質を抱く心地よさを感じる、尊い時間なのです。まさに心の動きに従って、身体が動くようです。邪な気持ちではなく、本来の思い、本来の感情に動ずるが如くなのです。
 ところで、道場の運営も、実際に稽古をする教室が最前線なのですが、主要な事は、見えないところで、あらゆる事が営まれ、道場の発展を表すために、心労を尽くしている、本部スタッフがいるのです。いないようでも、確かに存在していて、道場生と関係が無いようでも、道場の運営を司っているという事を、忘れてはいけないという事です。見えないからといって、疎かにすることなく、その管轄圏内、その指導圏内の動きに、和し、静じ動じることができるようでなければ、結果的に本来の道場の、未来を見つめることができないという事です。もし、道場の中での人間関係で傷ついているとしたら、心を閉じることなく、その門を開かなければならないという事です。道場はけっして誰も捨てておかず、極真の道を究めようとするならば、手を差し伸べる仲間がいるのです。愛情を持って見つめているのも本部スタッフなのかもしれません。道場生は実に守られているのです。
 道場生の誰もが事情が違う事は、百も承知しているのです。また主観と主義、理念がそれぞれ違うのも知っています。それでも、稽古を通じて同じ汗を流し、心を和そうとするのは仲間だからなのです。この蔵王連峰を眺める如く、全ての気持ちを打ち明けて、無我の心情で和する心を、求めていくべきであると思うのです。稽古を通じて、新しい自我を発見するのです。また再創造の切り口になるのです。今日の一日も、知らなかった町内の人との交流を深めたのです。和することこれほどまでに、楽しいとは思いもよらなかったのでした。