2016年5月20日(八段語録2784)
希望(20)

 極真会館宮城県本部と共に歩んで、日々という、歴史を重ねてきたのですが、道場を運営しているというよりは、家族的な関係を構築してきていると言った方が的確なのです。それは、会長の願いに即しての歩みでした。その理念を慕って、今も歩んでいるという事です。このような道場は、人を生かすという事を実証すると思っているのです。どんな理由であろうとも、道場の門を叩いた、一人一人の弟子達です。私が、探し出したかった道場生なのです。入門して胸弾ませる道場生に、満足を与える武道精神でなければならないと思って、闘ってきました。特別一生懸命な道場だけを、相手にするという事ではなく、苦しむ悶える道場生の、心の支えになろうとしてきたのです。もちろん、極真だけの世界で生きてきた私は、全てに精通している訳でもなく、ただ単に、道場生に対して、極真空手の稽古をするという事を、前提にして、家族として付き合ってきたという事です。
 いつの間にか、私よりも年齢の高い道場生も入門するようになったのです。また、一生懸命稽古をする女性も増えてきました。当然、私の家族を大切にするのですが、道場にも、父母が現れ、兄弟が現れ、いつの間にか道場での家族が確立してきたという事です。そのような事で、私の環境は家族で、一杯という事になりました。幸せな事です。人生で大切にしてきたことは、家族ですから、思いがかなったようにも思えます。家でも道場でも、望み待ち焦がれた環境ですから、自分の威信を忘れて、没頭することのできる人となる事が、出来ました。人生において、仕事をしているという事ではなく、家族との円満な関係を築くことに、努力を重ねてきたという事に、終始できたという言事が、誇りに思うのです。プライベートでも道場でも、家族としての人生を楽しむことができるという結果は、何にも代えることができないのです。
 つくづく思う事は、私自身、妻と会話をしていることを望んでいるのであり、家族と一緒にいる事を願うのです。実に平凡な発想の中にいるのです。毎週日曜日は、食事会を開催するようにしているのです。日々忙しくしていて、バラバラになりがちなのですが、この日の食事会だけは、全員集合という事です。それで、親しく家族が交わるのです。その環境に、和して楽しみながら、各々の行動スタイルを諫めることなく、好きなような態度を取っているのです。その家族関係では、自由に応じまいとしても、応じざるを得ない雰囲気なのです。一週間疲れたという態度と、雰囲気を取る長男に対しても、何も言うつもりもなく、その心を表現していてくれるだけで、嬉しく思うのでした。もちろん、孫の士紀雅も、9か月になり、捕まり立ちをしてはしゃいでいるのですが、周りを和ましてくれるのです。
 本部事務局も、しっかり実務をこなしながら、集中して仕事をした後は、和やかな会話を楽しむのです。このように一日が平穏に終了しようとすることに、有難さを感じるのです。人生の苦労が結実するという事は、このような事なのだと、勝手に思っているのです。それでも、このような幸せな、空間と時間を守っていくためにも、日々の希望的な努力はしなければならないのです。それは、どんなに苦労しても、安らぎが全体を覆ってくれるというものです。