2016年5月19日(八段語録2783)
希望(19)

 新しく、入門希望の道場生との面接をして、更に、指導者研修の現場に行き、新しい道場生から、二十数年の間、共に歩んでいる指導者の姿を、脳裏に焼け付けた日になりました。そこで、私が願う事は、愛情を通じて、しっかりと子弟の関係を、築き上げるという事が出来るようにという、気持ちでした。今でも道場生に対して、謙虚に反省することがあるのです。それは、「私」を中心としたある主義主張を押し付けるのではなく、自分の意識的な観念というよりは、極真魂という精神世界を理解できるように、表現することなのです。そのような気持ちですから、「自我」が表面に出ないようにという気持ちもあるのです。なかなか難しい課題ですが、挑戦をしようとするのです。というのも、リセットし、再創造のような気持で、自らを奮い立たせて、運命の道を切り開こうとしているのです。絶えず成長しなければ、腐ってしまうという意識が強いのです。今の私が堂々と極真精神を主張することができるかというならば、不足であるという気持ちが、本当のところなのです。
 この件に関しては、いくら弁明してもしきれるものではないのです。また、自分の不足を補おうとしても、時間がかかるという事です。創始者大山総裁と比較するだけで、師範として立っているだけでも恥ずかしくなります。総裁の苦労の前には、比較できなく、もの悲しさも感じてしまいます。もちろん、そのような事を意識しなければ、自信と誇りに満ちるかもしれませんが、極真の道を歩む限りは、まだまだという気持ちになります。現在の極真会館での立場は、「私」がエレベーターのように押し上げられたのではないのです。「私」が今の師範のような立場になれるようになった経緯をしっかり検証すべきなのです。そして、この道を歩まなければ、今の「私」ではないという事をしっかり悟るようにしなければならないと思うのです。極真精神の中に、「私」が染み込み、創始者の開いた極真の門を叩いたから、このような「私」になれたという事を謙虚に自覚すべきであると思うのです。
 そのような意味では、まだまだ修行が足らないという事を自覚しています。私の行動を極真精神で制御することが、できるようにと願うばかりなのです。それは、習慣的な生活をして、緩慢に過ごしてはいけないという事です。また無目的に歩むことによっては、到底できないという事を自覚すべきなのです。間違いなく、極真精神で、自らを制御する環境の運命に置かなければならないという事です。それが修行の場であり道場であるのです。それなりに、栄光の立場を求めているのですが、不足であるとしか、答えが返ってこないのです。代表師範として立っていても、面目ない気持ちであり、世間の視線に、は未だ答え切れていない実態であるということです。その為にも修行を欠かすことなく、栄光の標的になる事が出来るように、切磋琢磨を繰り返すしかないと思うのです。
 指導者研修会で、そのような事を考えながら、指導員の姿を刻んでいたのです。私が成長して、そのレベルを伝承し、師弟の関係を強固に築いていくという意識は、絶対に必要であると、今さらながら自覚するのでした。そんな希望を抱く一日という事です。代表師範の私が、成長して、道場生に愛情を注がない限り、極真精神が願う、師弟関係は作る事が出来ないという思いを抱くのでした。