2016年5月14日(八段語録2778)
希望(14)

 二か所のマンションの理事会と総会に出席してきました。二つのマンションの会議で感じることは、何かを隠しているような組合と、正しく行おうとする組合があるという事です。それに対するコメントは後に述べますが、怒りの思いが湧いてきます。ともあれ、私はどうするのかという事です。自分の良心を見捨てることなく、新しい愛情を抱くようにすると心がけようとするのです。不正を正すという事は、正義感を持っていれば当然の事なのです。それでも、誰がどうこうというのではなく、私の姿が正しいかという事に、焦点を置くようにしたいのです。正しい心にかなわない事が、哀れであると思うようにするのです。今回、正さなければならない組合と、険悪な関係にはしなかったのです。あえて大人の対応で、清濁を受け入れたような態度になったのです。色々な不正を正すという事は出来ても、これからあらゆる事情を分かって、より正しく運営していく事の方が難しいという事を悟ったという事です。
 さて、私の発想としては、正しい心に向かって走るという気持ちなのです。正しい心に抱かれて、その懐の中に存在することができるようにという、思いが強いという事です。見るからに、あるマンションの組合は、おかしいのです。決して、その様子に対しては、同調しようと思わないのです。それだからと言って、反旗を翻しても、これからの良い運営に至るとは考えにくいのです。当然、正義心の強い、私個人の心身の動きは、鉄槌を食らわせて衝撃を与えたいという、思いでいっぱいになるのです。それでも、忍耐を重ねて、愛情を持って対応する事に、心を決めたのでした。本来ならば、業者の見積書を提示して総会の承認を求めるべきなのですが、ある組合の副会長が作成した、いかにもという内容だけを提示して、ごまかそうとするのです。もう私には業者との癒着がちらつくし、キックバックのシステムが、もう確立しているのだろうという、予想も立てるのです。今回の事業は三千万円に及ぶ大型修繕なのです。そのような事に対応するという事も、首を突っ込みたくないと思うのですが、正義の剣は放たれるのです。おそらく誤っているでしょう。それを追求するよりは、不備な自分を正す気持ちを持つ方が、得策であると思うのです。用意周到に誤魔化してくることは、間違いないという事を思いながら、正しい心を爆発させて、日々歩むという方が、大切であると思うに至っているのです。
 ところで、多くの不正を目の当たりにして、正すだけでは、反感を抱かれるだけと思うのです。それだから、私自身、混乱の中で彷徨して、留まれない環境に陥ったとしても、自らを汚すことのないようにという、気持ちを強く持とうとするのです。何があっても、まずは、私の良心を捨てることが無いようにと、チェックするのです。このような姿勢に立つのは、慣習という誤魔化しが、まかり通らないようにすることです。それが組織であったり、組合であったりするのです。そんなことに、果敢に挑戦するのですから、私の気持ちは純粋という事なのです。そして、貫く事に徹するのです。
 あらゆる不備を正すという事だけでなく、良き方向に向けていくためには、しっかり消化して、気を長くして対応するという事が得策であると考えるのでした。