2016年5月13日(八段語録2777)
希望(13)

 昨今、道場を運営して喜びとすることは、あらゆる局面で、歓喜のひと日を持てることです。大会であれ、普通の道場の稽古であれ、道場生が喜びの実を結んでくれるのです。一人一人を個人的に応援したいのですが、「えこひいき」と、思われない行動を、取らざるを得ないのが、私の立場になってしまうのです。それ故に、公的に愛情を注ぐという事です。選手として闘う道場生は、例え敗退しても、眩しく感じます。それは、その大会に出場するまで、技や精神を認定して、導いたという事を思うからです。結果は、その対戦相手によって違うので、勝ち負けが、判定材料にはならないのです。稽古を始めて、一人一人が努力を重ねて、個性を備えて、自覚しながら、出発をしているのです。私の心中に望んでいる、道場生の姿を見るだけで、嬉しくなるのです。入門して、一年になる者、十年になる者、二十数年になる者と、道場には、親しく声をかける道場生達がいるのです。一緒に歩んでくれた、道場生に対しては、もうすでに私の喜びの実になっているのです。
 もちろん、道場生にとっては、過去修練してきたことに対する、不足に思う心があり、まだまだ不十分という事でしょう。確かに、私が声をかけると、充実しているというよりは、反省点を話す道場生が多いのです。そして、私に話したことを契機として、明日また稽古をしっかり、継続するという事になるのです。本来道場生が、願っている栄光の姿、誇らしい姿を目指して、また頑張るという事になるのです。当然、この年齢で私が完成レベルではない事は、本人がよく知っているのです。それでも、私は自分を嘆くことなく、新たなる自我の発見を、願う日々という事なのです。それしか、地球生命体として、面目ない歩みはしたくないという事です。
 ところで、このような代表師範は、道場生を捕まえて、積極的に「望み」、「希望」、そして、一生懸命に「努力」してきた、全てを包容したくなるのです。誰を見ても恋しいのです。今月の不思議な現象が生まれているのです。そのような気持ちでいるので、沖縄、横浜、東京の極真の道場生が、私達の道場に入門してくれるのです。他のグループの師範の先生が、推薦してくれるという事です。それは、極真会館宮城県本部の道場生が、全国大会で、優秀な成績を上げているという事もあるのです。それだから、仙台で稽古をするのであれば、極真会館宮城県本部という事を、推薦してくれるようになってきているのです。確かに、私達の道場でも、恨みを抱いたり、排斥をしたり、背反する人たちも数多く存在しました。その道場生と一線を画して、全国で活躍する道場生を、目の当たりにすると、抱きしめたくなるのです。そんなことも、歓喜のひと日を見出すという事なのです。もう私としては、心だけ動いているという事ではないのです。心を一身に備え、理想が現実になって来ているという、実感をするに至っているのです。
 このような現象を見ると、楽しくて仕方がないという事です。直接優勝した道場生に直接声を掛けることも素晴らしいのですが、このようにブログで一人一人を思って、表現していることも、何とも言えない、感動がよぎってくるのです。まだまだこれからという、理想であるので、ここで留まる事は無いのですが、それでも嬉しさを表現してしまいました。