2016年5月12日(八段語録2776)
希望(12)

 日々順調に道場の運営を軌道に、乗っているかのように思えます。理想の頂上を見上げると、先が長いし、高いので、足元を一歩ずつ、踏みしめていくという事です。初心の理想と望みを決して捨てることなく、その理想に向かう、気持ちを持たせてくださいと願うばかりです。極真会館宮城県本部の理想を掲げてから、歳月は流れているのですが、その日から抱いている私の願いは、日が経てばたつほど、現実味を帯びて、理想に動じるように、なっているのです。新入会の募集から、教育から、試行錯誤が続きました。そんな苦労の道も意を介さずに来たことも今では、不思議で仕方がないのです。今まで、目の前に見えるすべての事は、大変な事でしたが、過ぎてみれば、美しく感じることができるのです。結構、きつい苦労も、過ぎていく現象に、戸惑ってみたり、悟りを開いたりという事なのです。
 さて、今も懐かしむのです。私が良いと思い、信じた極真の道を、拠り所にして、心の世界で、望みを抱いた青春時代なのです。すべてのものを捨てて、ただ極真に憧れて、生命を削ってきたことが、昨日のようです。社会の荒波に揉まれることなく、極真という、道一筋になってしまったのですが、それは、それで貴重な事であると思うのです。極真と言っても、その極真の道は、結構厳しい修行の連続であったのです。その修行に振り回されることなく、捕まえて、闘ってきたのでした。初めは先輩達にあざ笑われ、越えることのできない壁として、塞がれていました。それでも、極真の道を望みとして終わることなく、燃える衝撃の心を、一層強くなるように、闘ってきた思いがします。そして、今もこの極真の道を走りぬいているという事ですから、結構、執念深いという事です。
 ところで、極真の道に生きようとする、望みの一念が無ければ、決して残る事が出来ないのです。決して強い者にはなれなかったという事です。生死を越えるような気持ちで、全日本にも出場することも適わなかったのです。そうでなければ、ただの道場生として終わっていたかもしれないのです。誰からも信頼されるような、人格の形成も、極真を継続し続けてきたから、他ならないのです。極真の道は数年間で、途上で終了する道ではなく、生涯捕まえるべき希望の道として捉えることができたことには、生きがいを抱いたという事なのです。なんであれ、極真の道は、普通の道ではなかったのです。そして、入門してみれば、狭い道でした。誰もが、行くことができる道ではなかったのです。そんな道であったので、しがみついてきたという事も事実なのです。ややもすれば、いい加減にして、決別したくなる気持ちが、絶えず湧き出てきたのも事実です。そのような心の弱さを、あらゆる協力者のお陰で、無事に修行を続けることができたというのも、奇跡という事です。
もちろん、ここまで修行をし続けてられたのですから、最後に残された、修練の戦場もまた、極真の道であると思うのです。この道を継続しなければ、決して、栄光の道を踏み越えていく事が、出来ないという思いだけが、心を去来するのです。極真会館宮城県本部の指導者には話すのですが、この道場では定年制は無いという事です。心臓が止まるまで、理想を実現していくという事に、全力を傾けるのです。これは、願いではなく、強制なのです。そんな強いメッセージを込めて、この道場の運営に携わっているのです。