2016年5月11日(八段語録2775)
希望(11)

 今も不肖な者として、代表師範を務めさせていただいているのです。それ故、世間に受け入れていただいて、間違いがないように、道場の運営を、推し進めようとしているのです。もっとも、願うのは、道場生から、極真会館宮城県本部に所属して、有難いという感謝を頂くことを願っています。でも、そんなに甘い内容ではないのです。この道は、難行苦行の道になっているという事でしょう。決して、道場生に迎合して、指導するつもりはないのです。それでも、歩んでくれている、事を心から願うのです。というのも、極真空手が今日まで、私を虜にしてくれました。新しいレベルの精神に、引き上げてくれたという実感をするのです。今まで代表師範という立場まで、引き上げてくれたのです。内容はともあれ、何もなく、ただダラダラとしていた人生に、極真空手が立ち塞いで、いい加減な自分の生き方を除去したのです。生命の復活を得たような、勢いある生き方をすることができたのです。確かに極真空手の修行は、厳しいものがありました。しかしそれに耐え続けてきてみると、あらゆる価値を備えた一つの生命体として、活動することが分かったのです。
 今日も稽古を行っている、道場生を眺めると、極真であり、至極善という世界が広がっているのです。またその姿は、至極美に値するのです。そして、我ながら賞賛してしまうのです。稽古をしている道場生の姿は、誰が見ても頌栄を、捧げるように思うのです。決して、この伝統を、壊したくないという思いで、いっぱいになります。その為にも、責任を果たすために、日々努力を重ねなければならないと、自分に言い聞かせるのです。この道場は、私が大山総裁から、受け継いできた伝統を、道場生に連結させることが、できる場であると思っているのです。こうして、私が歩んできた道を、道場生が後を追うように、来てもらうという事に、喜びと楽しみが増すのです。私と共に分かち合う事が、出来る道場生がこんなにも多く存在しているという事に、感無量になってしまいます。
 ともあれ、極真に忠誠を誓って、歩んできた人生である事に、間違いはないのです。生命のある限りと固く決意して、道場生を指導する、生きたモデルを目指したという事です。私の心境は、この上ない心で、極真の道を励んで欲しいと願うのです。そのような思いがあるので、この上ない手助けの対象として、道場生が存在しているという事は、感動なのです。このようになる事を、私自身、待ち焦がれていたのです。確かに、まだまだ教育は不十分ですが、それでも、全力投入という事です。これが、人生の全てのものを、犠牲にして、勝ち取った理想という事になるのです。これまでの苦労は、結構ありましたが、これからも道場生の為に、無限ある手助けの存在になる事が、出来るように、努力するのみなのです。
 今日も道場生に出会うと、無限なる力が湧いてきます。そして、道場生は、私にとって無限なる恩恵の存在であるのです。このように年齢を重ねて、まだまだ役割が残させているという事を、自覚するという事です。更なる希望が心に湧いてきます。そして、今年は、新しい道場生として、入門する数が多いのです。それは、今までの歩んできたことが、少なからず報われているという、気持ちになるのです。道場生の顔ぶれが、以前よりも増して、逞しく感じるのは、私だけでしょうか。