2016年5月10日(八段語録2774)
希望(10)

 菅野師範代を中心として本部スタッフの闘いが続いています。体制の不備を正し、本来あるべき道場に、どのようにするかという事を、明確に取り組んでいるのです。粗削りな部分を丁寧に修正しながら、最初に志した、極真会館宮城県本部へと、対応するという事なのです。いい加減さと、悲しくもある反逆という事件を、起こして事実を、しっかり検証しながら、前進する以外にない、私達である事に、相違はないのでした。指導員の先生方が、帰属意識を高めて、レベルの高い道場の姿を求めているのです。今日もスタッフ会議をしながら、あらゆる検討を加えているのです。私はお爺ちゃんの立場ですので、現場で決定していく事に関しての、最終承認をするばかりなのです。少し油断すると、道場の空気を壊すことが起こります。特に若き指導員の先生と道場生の間に、特別な感情が芽生えないようにするという事を意識せざるを得ません。どのご父兄から見ても、「変」であるという事であれば、冷静に受け止めて改善すべきでしょう。もちろん、本人たちに悪気はないのです。それが発火点となって、暗闇の権勢と、闇の深い眠りに、引きずり降ろされるという事もありうるのです。特に男女の規律はしっかりすべきと考えるのです。
 誰も敢えて間違いを起こそうとは思わないのです。慕われるという事が問題ではなく、どのように指導者の先生が対応するかという事なのです。武道には秩序があります。指導体制にもそのような事は、当然導入されるべきです。誰もが公認する立場で、順指導員として補佐することができるならば、それが理想です。他の道場の事を言うつもりはありませんが、そこで間違う指導者が多いのです。それ故に、絶対に極真会館宮城県本部では、原則通りに秩序を維持し、その上に愛情を載せていくべきであると、考えるのです。それが、光明の旗に向かって指導員の先生も、本部スタッフを初め道場生全体が、走り抜ける原動力になるのです。
 幼い道場生を育てて、指導員の先生まで育てたのです。ここで奪われてしまえば、誰もが傷つくという事なのです。かつて私は苦い経験を積んでいるのです。将来を担う茶帯の指導員の先生が、子持ちの女性に握られて、結局は駆け落ちをしたのでした。彼も彼女ももう二度と極真会館宮城県本部の門を、潜れないのでした。そんな苦い思い出は、二度と起こしたくないという事で、厳しい指導を現場のスタッフはしているのです。有難い事です。私情を捨てて、厳しく対処するということは、責任を成し遂げられないままに、同じような事件を起こすまいとする、決意である事は間違いないのです。
 結論として、指導員の先生も道場生も共に、成長させたいのです。かつての悲しみを引っ張らない為にも、心を鬼にして対応して、貰っているという事です。とにかく、指導員の先生としては、大丈夫という事でしょうが、老婆心ながら、現場のスタッフで再分析させて戴くのです。そして新たなる状況を作っていきたいと思うのでした。道場の理念で、再創造をしていくという事を念頭に置いて、他の道場の間違いを継承しないようにしたいものです。道場生の未来は、素晴らしいはずです。どんな障害でも乗り越えて、朝の光明の光で、道場を健全になさしめたまえと願うばかりです。今の現場の指導者の直観力は、冴えているのです。指導者の先生方も菅野師範を初めとする、本部スタッフを信頼して下さるように願います。