2016年5月8日(八段語録2772)
希望(8)

 自分を分析するのですが、実に歪な人格という事です。好き嫌いがはっきりしていて、公平な気持ちを維持することが、難しいのです。大分、訓練してきましたが、嫌いな事に関しては、徹底して嫌いという事は、今でも変わらないのですから、困ってしまいます。そのような事もあって、大山総裁のような人と出会うと、好きで熱中してしまって、生涯を捧げてしまうという事になったのです。これは実に良い事であったと、今では思っています。そのような個性ですから、若き日は多くの人から推挙されて、役職を得るという事は、皆無に等しかったのです。どちらかと言えば、好き嫌いのはっきりしている個性を生かして、一匹オオカミという生き方が、似合っていたという事です。友達にも言われるのですが、「それだから、今のような生き方なんだ」と言われるのです。最も良い意味ではないかもしれませんが、私なりに納得しているという事なのです。
 さて、その個性の改善ですが、この年齢になると、誰にでも安心して貰える、存在になろうとするのです。誰からも好意を持たれたいのです。自分は好き嫌いが多いのに、万民から好かれたいという事ですから、実に都合のいいことなのです。それでも、道場生たちの安息所としての役割は、重要であると思うのです。ですから、今は、誰でも愛情を注ぐことができるように、努力を重ねるのです。それが指導者としての、必然的な道である事と、心得ているのです。確かに私は、一個性ですが、多くの道場生が、繋がってきていることを受け止めると、人としての修行を、自分に強要せざるを得ないのです。この年齢になっても、安心して、枕を高くして寝られないという事です。
 私が、極真の門を叩き、真実を求めているのに、道場生に分け与えることができないようでは、メンツを失ってしまいます。道場生が同じ極真の道を、共に歩んでいるのですから、彷徨している道場生の、「止り木」にならなければならないという事です。極真会館宮城県本部として、もう二十年近く率いてきたのですが、不足は極まりないという事です。それ故、いろいろな問題を、引き起こしたことも事実なのです。それ故に、極真の理想を、私という存在で、破壊させたくはないという事です。そのような意味で、大きく言えば、天地を代表することができる、基準を築き上げる努力が、願われているという事です。そうすると、私一人の好き嫌いが、同居するような、存在になるのではなく、誰からも安心してもらう事が出来る、存在にならなければという事です。どの一面も欠乏してはいけないという事です。東西南北という、四方性があるように、人格にも四方性を整えて、安心して信頼されるような人間性を、目指すのみという事です。
 この内容が、私の第一基準となって、現生活で、この意識を、忘れないようにと心がけるのです。そのような原則を忘れてしまうとするならば、悲しむ人が生まれるのが少なくなります。いつも心がけなければならない事は、道場生を大きな広い心で、抱くという事なのです。極真の道を歩む限り、天を思い、地を思うような広く。深い心を研ぎ澄ませてくれるようにという、気持ちでいるのです。このような事が、私に対する戒めであり、絶対鉄則という事なのだという事を、肝に銘じるのでした。