2016年5月7日(八段語録2771)
希望(7)

 土曜日も幸町に、新規入門者が入りました。また、新規来場者も訪れてくれました。有難い事です。さて若き日は、前だけあると思って、アクセルをふかし続けてきました。それが当たり前のように思っていましたが、年齢を重ねると、後ろがあり、退会する道場生もあるという事も意識するようになったのです。我ながら大人になったものだと思うのです。データからすると、至極当たり前なのですが、意識としては、前しか向いていないという、私自身に気づくように、なったという事です。それもそのはず、今日だけしか無いと、必死になってきましたが、思いとどまれば、明日もある事を、自覚するようになって来ているのです。それにしても、一途な生き方が本分とばかり、強行突破してきたものです。そして、向上心だけは誰よりもあると思って、上だけ見て闘ってきました。しかし冷静になれば、下もあるという事にも気づくように、なってきたのです。歳を重ねるという事は、このような事かと思うに至ったのです。
 また、極真空手道に、邁進してきて多くの人と、関係を結んでみたら、右側と左側があるという事にも気づかされるのです。それも、右側が左側になり、左側が右側になり、すなわち、位置を変えても、前進することができるという事も、理解するようになりました。これが、若き日には融通がきかなかったのです。前後左右上下、多くの人にぶつかりました。傷つけられたり、傷つけたり、様々な軋轢を繰り返してきたという事です。それもそのはず、前後左右上下が、混沌とする生き方だったようです。正しく授けて、正しく受けるという能力に欠けていたという事です。それが、年齢を重ねるに従って、自ら理屈をこね回るようになり、経験から、倫理道徳を重んじて、前後、左右、上下を一致させようと努力する姿が、芽生えてきたのです。それは、自分を我慢させ忍耐する気持ちであり、最終的には、自分を立てようとすることだけを願わずに、自分を捨てるような行為もできるようになったのです。
 ある時は、若気の至りで、責任を逃れるために無関心を装うという卑怯な真似をしたことも思い出されます。要するに、違うのに追随するという姿勢でした。そのうち、大人になって、上に対して下が、身代わりになるような術も、覚えてきました。右が左の、左が右の身代わりになるという事を覚えたのです。これは、信頼関係が構築されてなければできるものではないのです。このように一体不可分の関係を築き上げることができる、大人へと変身してきたことも、成長であると思うのでした。そのような意識で築き上げてきた、極真会館宮城県本部を誇る事が出来るのです。そして、間違いなく、栄光の道を模索することができると、確信になっているのです。
 まだまだ、脇道の誘惑は多いのです。その道は安易に横たわっているのです。それを一刀両断、成敗するのです。それ故、決してシステムには手を出さないのです。ましてや裏社会との関係は絶対持たないのです。どんなに厳しくても、安易な道と決別して、世間に向かって黙々と、堂々と前進しながら、勝利的ひと日を待ち望む思いなのです。今まで、一つの事を願って、その目標に懸命に闘ってきましたが、勢いだけでなく、前後左右上下をまとめる、指導者にならなければ、達成することができないという事も、悟りました。まず、目標として掲げた、三千名体制の確立は、しっかりとした信頼関係からしか生まれないという事です。