2016年5月5日(八段語録2769)
希望(5)

 子供の日、私達の道場は、幼年部からありますから、この日は格別という気持ちになります。連休中ではありますが、子供達が守られるようにと、思いを抱くのです。一人一人が、今日の日を喜んで、過ごすことができるようにという事です。道場での稽古によって、少しでも逞しく、決して誤った気持ちで、過ごすことが無いようにと願うばかりです。もし、気持ちが乗らない時があっても、静かに心を、落ち着かせることができるようにという事です。この期間、青森で大会がありました。優勝した道場生もいれば、一回戦で敗退してしまった道場生もいました。勝負は、今まで稽古をしてきた結果であり、大会では、全国の子供達と切磋琢磨することであます。大会に参加した道場生が、何らかの形で、感動することができたことを願うのです。もちろん、その結果を、再び道場に持ち込んで、道場全体に良き効果が表れるようにと、願うばかりです。
 大会は、日頃の修練の結果であり、謙虚に反省してできる心が、起きるように願うのです。足らなかった事を改め、良い要素だけを堂々と、表すことができるようにという事です。それでも、日々の稽古での一生懸命さが、大会で十二分に表現でできるように願うのです。子供達の良き未来の道標としての、本質と本性に包まれた大会であるようにという事です。この時間、私に任された使命は、道場生の成長と、指導者の成長である事を、よくよく心の中に銘記することが、私の役割です。道場生の成長が、今日も道場に掛かっているという自覚をするのです。たかが空手と思う人もいるかもしれませんが、されど空手なのです。道場生は大会に出場して感じると思うのですが、荘厳で深刻な、生死をかけた心境に立つのです。心で自分をしっかりさせ、身体で相手に、闘いを挑むのです。そして、勝利を収めた時には、両手をあげるように、喜びを全身に現すのです。それは、どんな刺激よりも、充実した気持ちを感じるのです。
 もちろん、敗退したとしても、悔しさを全身ににじませながら、次のステージを狙うという事です。大会に出場している道場生も、ゴールデンウイークで家族団欒として、楽しんでいる道場生に対しても、私の気持ちとしては、道場生を、捕まえていたいのです。何をどうするという事ではないのですが、一緒にいるような気持ちなのです。それは、日々の生活で、疲れないようにという配慮が、働くのです。今まで、道場生が事件や事故に巻き込まれたという事は、無いのです。それは、家族と道場指導者との連携によって、守られているという自覚をするのです。過剰な意識と思われますが、それでも、足らない気持ちになります。それは、何としても、道場生を日々保護したいという気持ちの表れという事です。
 結局、道場生が、稽古に出てこない日であっても、親心で、存在し続ける代表師範という事です。今日も平穏な日でありました。道場生に、これといった事件と事故は無かったのです。そして、私はというならば、千順さんと根白石の畑で、夏野菜の苗を植えたのでした。キュウリ、ナス、トマト、カボチャ、ごうや、様々です。冬からの雑草も伸びてきました。草刈機で、きれいにするのです。里山という自然と、道場生に囲まれて、この年齢を過ごしていることに感謝という事でしょうか。