2016年5月2日(八段語録2766)
希望(2)

 正直、ここまで人生を歩みつつ、たどり着くことができたという事に、不思議さを感じるのです。よくぞ、六十二歳までの、道のりがあったものだとも、思うのです。もちろん、残された運命の道が、幾重にも重なっているという事は、否定できません。これからも道も険しい道が、待ち構えているという事なのでしょう。極真空手という武道の道は、広大な世間という範囲からするならば、あまりにも狭いのです。そして、足らずとも、歩みつつ感じることは、積極的な人生であったかという事なのです。実際、一生懸命頑張った割には、あまりにも、不足であったと反省してしまいます。そして極真精神を伝える者としては、あまりにも、不備も多いのです。代表師範として、歩み続けている今も、ありのままの自分の姿を、さらけ出すだけなのです。
 自分の資質が、極真精神を伝えるに、相応しい器であったかという事を、考えると、まだまだ足らないという事です。そのような器でしかない、私という存在を、極真精神の武具で固めて欲しいと、願うばかりなのです。今の極真会館宮城県本部の内容だけでは、今の私は満足しないのです。必ず、形にして、実際の基盤を築き上げたいと思うのです。そうだからこそ、日々、試行錯誤が続くのです。自分一人では、切り開くことができない、行き詰ってしまう事が、多い日々なのです。それ故、菅野師範を初め、本部スタッフ、指導員の先生に助けを、請い願うばかりの、気持ちにもなるのです。そして、しっかり、垣根となって、守ってもらい、代表師範として、立てて戴けるように、配慮をするのみなのです。強気な指導を心がけてきましたが、これから極真会館宮城県本部としての、看板を汚すことが、無いようにという思いがするのです。それは、不足な姿が、露わになっているという気持ちからなのです。
 ところで、代表師範として心がけている事は、「自己中心主義」という観念を抱くことが無いようにという思いなのです。師範や本部スタッフ、そして指導員の先生をイエスマンにはしたくないのです。責任と実績を持って、意見を述べる先生には、耳を傾けて、その実際を実践することができるフィールドを築いていこうと思うのです。代表師範の心の中には、極真会館手塚グループの発展だけを願うことができるようにしたいのです。決して、自己の利益だけに走るような、輩にはなりたくないのです。極真精神だけを貫ける道場として顕現したいのです。この精神を培って、もう四十数年になりますが、結構、迷って別の道があるのではないかと、悩んだ青春時代もありました。それでも様々な体験をした結果、結論に至ったことは、極真精神だけを呼び求め、それを誇り、そこから生まれる、不変な個性として、世間に現したいと、思うようになっているのです。
 そのような思いで、極真精神という武道精神で、間違いなく世間に奉仕することができると確信に至っているのです。社会から受け入れられ、頼りにされ、感謝される極真会館宮城県本部を目指すことに、いささかの迷いもないのです。この年齢になっても、この肉体を最大限駆使して、成すべき武道教育を、この身体で実践しようとするのです。まだまだこれからの道は険しいものがあります。世界に繋がる極真の仲間たちと共に、世界平和に貢献できるツールにしたいという事です。これからも真剣に戦いを続けようと、ゴールデンウイークの最中ですが、思いを未来に馳せるのです。