2016年5月1日(八段語録2765)
希望

 千順さんとデート、秋保温泉に日帰りコースで出かけました。道中、木々の若葉が新鮮に目に移ります。千順さんが、「生い茂った木々はうっとうしく感じるけど、若葉は清々しい」と話してきます。私としては、どの季節の自然も、玄妙なる顕現美に満ちていると思うのです。せっかく、この若葉の美しさに感動しているのですから、私が水を差す必要はないので、同調していました。還暦を過ぎて、夫婦としての私達ですが、自然と、千順さんの美しさを休まずに追い求めている、自分を発見します。私の心と体が生き生きしていて、自然や相手の美しさを、実際に追求することができるのです。現実の生活は、生々しい事が日々待ち受けています。それでも、美しさをもって対応するエネルギーが、ひそかに心の中に隠しているのです。様々な事件があっても、愛情で対峙する、能力を身に着けることができるように、心を配るのです。自分の心を、現実は「こうだから」という風に決めつけたくはないのです。
 久しぶりに温泉に入り、リフレッシュしました。お昼を一緒に食べ、一緒に歩んだ、結婚当時からの事を、思い浮かべるのです。純粋な心、身も心も新鮮で、生活臭とは無縁な、結婚当時の心境に立つのです。その感覚を、デートで再び味わう事が出来たのです。そして、それは、実に美しく感じるのです。私達夫婦としての心と体が、愛情に包まれ、千順さんが語ると、それに答える自分があるのです。会話は、千順さんが語れば、私が答え、千順さんが静かにしていれば、私も静かにしているのです。この一瞬だけは、完全無欠なお互いの自然な姿になっているのです。こうして夫婦で、人生を踏み越えてきて、今も新鮮で、お互いを貴く思えるのは、有難い事です。このような、関係は、結婚当初から望んでいたことであるし、一つの目標でもあったのです。
 ところで、これから、私達夫婦が探すべきものは、お互いの心であり、成すべきことは、お互いの身体での実践であるという事です。それをこれからも、探したてることができるようにと思うばかりでした。千順さんの本当の美しさを、お婆ちゃんになっても、探し求め、訪ねていこうとする、気持ちがあるのです。尊敬し続けることができる人生と、させてくださいと願うばかりなのです。千順さんの前に、感謝と平安を感じるのは、四十年間の間、築いてきたお互いの努力であると思うのです。このような関係が、私達の人生の目的であったと思うのでした。温泉に来て、歳を重ねた私達が、骨身に染みて、良かった人生であると思えるように成りつつあるという事です。 
 お互いが他人でありながら、不思議な縁で結ばれ、自分も分からない間に、共に人生を歩みだし、お互いを重視する生活をしてきたという事です。お互いの関係を重視する夫婦になって、努力を重ねて、今まで来たのです。これからも、千順さんと共に、良心の働きが私の心身を刺激して、人に恥じることが無い、本来の自分であり続けることができるようにと、祈るばかりなのです。私に願われていることは、千順さんに対して、謙虚になる事であり、あえて、「我」を張る事がないようにするという事なのです。このような気持ちを、抱きながら、月初めの一日を迎えました。これからも、千順さんにとって、大切な人となる事が出来るように、日々努力という事です。