2016年4月30日(八段語録2764)
自己の成長と創造
いろいろな試練は、いつも、回ってきます。それでも、二人の謀反に遭いながら、道場を三つ構えるという、強気の戦略を立てたのです。もちろん、道場生が成長して行くという事が前提なのです。また道場生が増えていくという事も、描いていました。その戦略が、的中したかどうかはわかりません。発想は良かったと思うのですが、経費が掛かり過ぎという、結果が出てきたのです。それでも、道場の運営を休むわけにはいかないのです。前進するという事を念頭に置いての日々でした。厳しい現実を乗り越えるのは、休むこと突き進むという事でした。ある意味で前進して発展してこそ、残る事が出来るという信念だったのです。気持ち業績を残さずしては、後戻りすることができないという事です。道場として、経済的にも、自立して成功するためには、損得を抜きにして、戦略を組むのです。本当に苦労を重ねました。魂の苦労、身体の苦労、あらゆる事情の試練と苦痛を克服するという、覚悟なのです。大きな損失があったとしても、どのような結果であれ、それを立てておいてこそ、困難を克服することができるというものです。
さて、マイナス経済が、直撃してきたことは間違いないのです。道場の運営に対して、どもまでも、貫くという気持ちですから、見ていられないという弟子も出てきました。それでも、成功を早く成し遂げるために、前進なのです。弟子に対しても厳しい指導をしていました。それだけに、弟子を優先するのは私の信条でした。ある時、道場生のご父兄と弟子の対立がありました。どのような裁きをするのか、弟子が固唾を飲んで、私の判定を下すのを見守っていました。すぐに、判断は、弟子を優先するという事でした。例え、道場生のご父兄が理不尽に思うが、私の育てた弟子に間違いはないという確信でした。大岡裁定ではないのですが、当たり前に、弟子を信頼するのです。そのような場面が、幾度となくありました。道場の運営が、納得ある運営にするためには、お金では無理です。力でも駄目です。ようするに、権謀術数を持っても駄目なのです。私が道場を正しく運営するためには、弟子と心中するという気持ちでなければ、成功もできないと思っているのです。
ところで、私の裁定の結果、多くの道場生のご父兄が去っていきました。それでも弟子を信頼するのです。それは、私としても、単なる裁定ではないのです。死ぬか生きるかという運命をかけての判断なのです。このような事が分からず、指導者が誤って、人情的になり、弟子を批判するという、状況を何度も他の道場で、見てきました。私は、原則通り行動するのです。それは裁定だけの話ですが、実際は、どのぐらい多く時間を割き、努力をたくさんして、資本を多く投入するという事にあるのです。
私の場合、どんなに事がうまくいかなくても、忍耐を重ねるのです。忍耐は、再出発の動機になるのです。そして新しいものを築いていく、原動力と動機にもなるのです。たくさん耐えることは、たくさん闘って、所有することにつながると勝手に思うのです。それが成功の秘訣になっていくのです。結局、その時も、確かに経費が莫大に掛かって、大変な思いをしましたが、それ以上に、忍耐という事を重ねて、とことん勝負に出るという作戦を立てたという事です。それが、今でも残っている理由の戦法になのです。