2016年4月27日(八段語録2761)
自己の成長と創造
五十歳という年齢で、始めたことは、ブログを書くということでした。何を記入して良いのかわからないままに、書きたい時に表現するというところから、始めました。この年は、思いついた時にブログに、載せるというくらいでした。しかしブログの記入も本格的になると、精一杯表現するようになってきたのです。理由はさまざまありますが、師範生活において、全うするには、プログラムを、組まなければならないと思ったです。要するに、ただ、無秩序二、無目的に生きてはいけないという発想からなのです。人生は無目的に生きるべではないという信念からなのです。さらに、極真会館で歩んできた四十数年の道のりは、到底、後からついてきた人には、分からないということなのです。そのような思いもあって、多くの道場生の、人生の設計図になればという意識もあったのです。家を建てる時設計図があると、同じように、後輩の指導に役立てばということでした。
私が師範として、表現したかった事は、必ずや生きている間、豊かに暮らすということでした。豊かに暮らすということは、物質的に恵まれるというだけではなのです。私が心を開いた人生を行くということであり、善人として満足する生き方をしていこうということなのです。その為に豊かに暮らすという基準は、どのようなものかという基準を示したかったのです。物質的に豊かに暮らすと人は、多くみ受けるのです。家を持ち、お金を持って、支障を受けないほどの環境を備えて暮らすということを、示している人は多いのです。一般的にはそうなのであって、社会の列外で生きてきた私にとっては、それはどうでも良いことだったのです。
この豊かに暮らすという私なりの意味は、「師範として完全燃焼して、充実しているか」ということでした。その観点で心に尋ね、自信を持って、いい人生であると宣言できることなのです。友達と話す機会があって、話を聞くと、大多数の人は、今まで生活してみて、後悔の結末にぶつかるようになり、一生を無駄に生きたと嘆くのです。このような生活様式を、示してはならないという気合いのもと、師範生活を正しくし続けたのでした。もちろん仙人ではなので、それなりの主権と国土と民を確立して守っていかなければならないというふうになっていたのです。ですから、家があり、畑があり、それなりの常設道場もあるという状況まで確立したのでした。
そのような意味では、師範生活において、敗者になってはいけないという気持ちが強かったのです。その意味では、自分を律するということを最優先したということです。生活はどこでするのかというならば、生活そのものということなのです。つまり、この心と身体が存在している現場が闘いの最前線ということです。そのような歩みをこの期間していたのでした。