2016年4月25日(八段語録2759)
自己の成長と創造
師範として、四十九歳になると、複雑な大人の事情ができてきました。その内容を手塚会長と綿密に計画打ち合わせをして、手塚グループの理念に則って解決する道を見出したのでした。この時の私が一番重要視したのは、会長と私が、一致する道をを選択するということでした。その時、決意したことは、決して離脱しないということでした。もし私が離脱するならば、間違いなく、度々多くの事故を起こすであろうと考えたのでした。手塚会長と極真空手道のために、離脱するといっても、そのような姿勢では、自分も知らずに逆賊になってしまうと考えたのです。始めから逆賊になると考える人はいないのです。一生懸命に頑張るという人が、結局そのようになることが多いのです。私はあくまでも手塚会長に公認を受ける立場に立とうと考えたわけです。そうでなけば、会長と共に、道場を運営することなど考えることができないということでした。
このようにして始まった師範としての生活は、自分が進んでいる方向が間違っていたとしても、会長と共に、目的意識を持って、徹底徹尾共に歩むという姿勢があるということでした。つまり、心さえ持っているならば、間違いも修正されて、誰にも侵入されることはないと確信もしたのです。師範が指導する内容は何かというならば、極真の主流に接していかなければならなという覚悟の内容でした。
さて、二年目のジンクツがあると、プロ野球などでは言われているようですが、この年も三百六十五日、私が計画した通り、間違いなくやり通すという決意の塊でしたが、様々な試練に巻き込まれるということにもなったのでした。私が加入した事で、姫路の支部長がグループをやめるということにもなったのです。この一年、へそに力を入れて大騒ぎとなったのでした。船のスクリューが回るにおいても、もっと早く、もっと力強くなるには、勢いがなければならないのですが、正常に回らなくなってしまったのでした。会長に迷惑をかけたという気持ちから、支えることを二倍にしようと思ったのでした。
そのような事でもあって、私が加盟することで、会長に迷惑もかけるという事実を突きつけられ、それをどのように補うかという観点にも立たされたのでした。それだけに、出発した時の決意よりも、もっと強い気持ちを持たなければならないと思ったものでした。そのように気迫を強く持つということを心がけたということでした。このような試練にさらされて、私がこのグループに加盟した以上、会長に決して迷惑をかけまいと心の中で叫んだのでした。今もそのことが心に残っているのです。