2016年4月21日(八段語録2755)
自己の成長と創造

 様々大人の事情がありましたが、榴ヶ岡軽体育館を拠点として、師範としての活動が始まりました。最初は、支部長としての立場からでした。ちょうど、家を一軒建てるような歩みになったのでした。まず材木がなければならず、その次、土台を築くという事でした。その材木の立場に立っているのが、私という事です。その材木がしっかり築けるために、土台を築くという作業が始まりました。それは、土を掘って地下から築くのです。あえて高層ビルを建てるならば、まず地面を深く掘って、頑丈に基礎工事をすべきという事でした。その時、苦労する必要性を感じることができず、広い砂地に建てたとしたら今の極真会館宮城県本部は無いのです。基礎工事が、榴ヶ岡軽体育館に移った時に、頑丈にしたのでした。もちろん今も基礎工事を補強していることは言うまでもありません。鉄筋を多く投入して、コンクリートで基礎を固めるために、セメントと、砂利と、砂を、まず準備したのです。
 鉄筋はともかく、セメントを作る時、その何倍にもなる、砂利と、砂が必要になってきます。その砂利は何処にあるかというならば、河原にあるのです。河原は誰も住まないところです。また、石は山にあります。誰も見向きもしない所にあるわけです。その次に水が必要です。このように、土台となる人達は、気を悪くするかもしれませんが、その当時、砂利と砂にあたる道場生という事でした。どちらかというならば、私も含めて陽にあたるような道場生ではなかったという事です。しかし、気を悪くしても仕方がありません。そのような道場生が、今では、光り輝いているのです。決して土台をバカにしてはならないという事です。砂利と砂にセメントと水を混ぜると、一つの塊になるのです。その作業を、私と弟子との間で夜を徹して行ったのです。昼夜を問わずという事だったのです。これを基礎として増やしていったのです。
 ところで、そのようにセメントになって、砂利になって、砂になって、水になった人達が今の師範を支える人材という事です。その時、生死を共にして、汗と涙を流して、道場の砂利になり、砂になり、セメントや水になって、道場を固めてきたのです。このようにして、固められた基盤は、揺るがない為に、千年の歴史が過ぎても、崩れることなく、発展を続けると確信するのです。そこに私という木材が並べられたという事です。もういかなる力でも壊すことができない団体になったのです。千年万年たっても、崩すことができないという事です。このような家を建てたという事です。まさに大きな一本の木と、同じという事です。極真会館宮城県本部の礎になるものが何人になるのか、正しい時を持ち、正しい実績を持ち、正しい心を持ち、正しい考えを持った人が何人いるかという事でした。
別に褒めるわけではないのですが、その境地に至った人材が存在したならば、心やすらかになれるという事でした。その気持ちを持って、たった一人の青年がいたのです。それが菅野師範という事でした。これは消すことのできない事実になったのです。三十歳前後の青春を極真会館宮城県本部に捧げたという事です。彼は、最もつらい時期、苦楽を私と共にしたのです。もう還暦を過ぎてからの人生は、陽の光が照るようになる人生である事は、間違いないという事になるのです。結果的に、菅野師範には苦労させてしまったのは言うまでもありません。それだけに、菅野師範が、しっかりとした伝統を自ら打ち立てたという事です。