2016年4月20日(八段語録2754)
自己の成長と創造
極真会館宮城県本部の師範になるまで、様々な体験をしてきました。高校を卒業してから、社会の列外で生きることを決意し、極真の修行に耐え、出世することを、考えようともしませんでした。周りの友達は、そのような闘いの中で、出世することを願いながら、自分の欲望を果たすことを、見つめて進んでいったのです。そして、定年を過ぎて、異口同音にこれで人生は良かったのかと、疑問を投げかけてくるのです。もちろん、私も個人的に考えてみると、そのような誘惑が無かった訳でもないのです。改めて、修行の道を継続してきた、私には、世間的に言うならば、一人前になったのは、四十八歳での師範の立場に立ったという事なのです。実に世間的に見るならば遅咲きという事です。修行が形になったのが遅かったのです。ところで、この位置は、出世を願って勝ち取る事が出来る立場ではないのです。営業実績を上げたとか、評価されるとかという事ではなく、あくまでも、修行の結実を示すのであり、純粋であり続けなければならないという立場でした。もう出世を重要に思うのではなく、究極的に純粋に志を持とうとする思考方式が重要になってくるのです。
これからの極真会館宮城県本部の将来は、私に掛かっているという事です。もちろん、人は誰も成功しようと決心します。この世の中で、大きな目的を中心として、成功を夢見ない人はいないでしょう。しかし、その目的を成し遂げた人は、極めて少ないのです。一生において成功の頂上に上がる人もいれば、成功できない道を下ってしまう人もいるのです。山でいえば、峰はだんだんと高くなるのですが、「ここが頂上だ。」と言って、休んでしまったり、倒れてしまったりする人が多いのです。私の場合、モラトリアンとしての人生が長いのです。多くの人達の生き様を見てきたのです。分水嶺で倒れる人達、そして、それを乗り越える人達、様々でした。そんな中で、私は、全部乗り越えて、頂上までよじ登ってしまうという信念が結実しようとしているのです。それだからこそ、生涯かけての師範の道が始まったばかりという気持ちになっていたのでした。
この時に決意したことは、生涯人生の中で、自分が成功したとしても、決して歩みを止めないという事です。そして、その成功は、皆で分け与えるという姿勢を持っているのです。個人の成功だけに、留めておくつもりは毛頭ないのです。成功の為に走って、走っていったそこで、発展するし、残るのです。このような気持ちを、この年に固めたという事です。師範の道は波乱万丈という事を、予告されるようでした。そして、その心の中心を、手塚会長に置いたのです。会長を支えていくという決意がどこまで本物なのかという事を、意識したのです。収益の全ては会長の為に捧げました。運営費と経費を除いて、極真会館宮城県本部が死ななければそれで「良し」としたのでした。
そのような運営は、結局会長を支えたという事になったし、会長からのアドバイスも的確に送っていただける立場に立ったのです。師範として絶大な信頼を、獲得したことにもなったのです。そして、その収益は、会長が、世界を巡回するための経費に充てられたのでした。結局私は、世界の極真の為に宮城県本部を運営していくという大志を与えられたのも同然の道を示されたのでした。