2016年4月18日(八段語録2752)
自己の成長と創造

 四十歳からの学生生活は、子育ての真っ最中ですから、楽ではなかったのです。経済的な事もありました。四十三歳、大学三年の時に、国見スイミングのコーチの求人があったので、早速、面接に伺いました。その時に対応してくれた北山支配人が、今も極真会館宮城県本部の事務局長なのです。不思議な縁であると思っています。故郷に帰ってきたのですから、何の信用されるベースは無いのです。ただ映った姿は、避難民としているだけという事でした。それは、よく言えば、人生に対するリセットという事では、都合が良かったという事です。何のしがらみも無いという事ですから、思いっきり自分の考えることができるというメリットを持ったという事です。一週間後に採用の決定を頂いて、研修期間三か月を過ごさせていただきました。二十歳前後の娘のような上司が付きました。指導を受けたのです。プライドも何もあったものではなかったのでした。
 さて、このような環境を敢えて選んだのは、理由がありました。自分が強気で、思う通りしようとするならば、過去の自分に帰るだけという意識が強かったのです。ここは、確かに若い女性に使われる環境なのです。人情的には、人生経験をして、指導者として活躍してきたのですから、プールの環境は素晴らしくても、自尊心は否定の連続ですから気に入りません。それで、どんな発想で毎日国見スイミングに通ったかというならば、修理工場に入るという覚悟だったのです。修理工場に入れば、故障している悪い部分の全ての部品は、分解作業をしなければならないという事です。バラバラにされなければならないという話です。この分解作業が、まさに二十歳前後の、若い女性に使われるという事だったのです。今まで培ってきた、思想、権力、観念、職位など、全ては否定されたという事です。とても気分のいいものではないという事です。そうしなければ、修理されないという事も自分で悟っていたという事です。バイト時間中拘束され、犠牲になり、穏やかで謙遜な姿勢を強要された訳です。つまり、今までのような傲慢な姿勢は許されないという事です。そのような気持ちで、国見スイミングに三年半の間通ったのです。もちろん、北山支配人は良くサポートしてくれたのでした。
 ところで、難行苦行は、当たり前という気持ちが、その時強かったのです。学問では、成績を残さなければならなかったし、国見スイミングでは、自己否定という事でした。その中で、自分はどうであったかというならば、熱心に、熱意を持って学問に取り組み、国見スイミングのコーチとして情熱を燃やしていました。一途な気持ちで、誠意を持って尽くそうと思ったのです。当然、どんな環境であっても、当然の如く、心の力が湧いてきました。もうすでに道徳とか倫理ではなく、武道精神そのものであるという意識でした。そのような中で、この期間、悟りの道に立とうとしたという事です。それは、どんな環境にあろうとも自己管理を徹底するという事でした。この自己管理をするという事は、極真空手で稽古をしている時が一番似合っているのです。しかしながら、分野を広げて、学問に社会見学のような国見スイミングの仕事にと、忙しくすることで、自らをさらに広く、治めようとしたのでした。
 この経験は、極真会館宮城県本部を師範として運営するうえで、とても良い勉強になりました。それでも、不足している内容に関しては、北山支配人が直接極真会館宮城県本部に参加をしてくれたのです。