2016年4月16日(八段語録2750)
自己の成長と創造
四十四歳の時、無事に大学院に入学を果たしたのです。集ってきている税理士になろうとする税理士二世の後継者たちに、うんざりするようになると、学問をするという事を教授に宣言するのです。決して税理士を目指すルートには乗らないという事です。高橋教授は受け止めてくれました。学問をするために大学院に通うのであって、税理士のコースとしては、歩まないという宣言を、快く受け止めてくれました。結局税務会計ゼミでは、私一人、毛色が違うというポジションで、臨んだという事です。そして、二足の草鞋を履くように、夕方からは、仙台道場の指導をボランティアで、買って出たことになります。街頭でチラシを蒔いて、入門者を募るという作業を続けました。そして、一か月もしない間に、三十人程の道場生が集まってきました。すべて、私の号令で動くわけですから、実に気持ちが良いのです。学問と極真空手の指導の、両立を図った時期でした。高橋教授も私の志を知ってくれて、入門してくれました。こんなに幸せな事があろうかと、思う程でした。更に、指導教官が空手に関して弟子になるという所まで認知してくれたのです。
このような恵まれた環境で思ったことは、飯を食って寝るだけの生活ではないのだという事です。武道精神のみならず、学問を嗜み、文学や詩に精通し、豊富な芸術を鑑賞しながら、里山を散策してささやき、畑でささやき、流れる水に対して称えるような気持ちになるのでした。確かに極真の選手時代は、ご飯を食べて、体力を作っていくという事を、前面に押し出していたので、動物に近い状態であったと振り返るのです。しかし、今は、自然に親しみ、心が豊かな世界を求めたという事は、仙人に近いような感覚でした。自分でいうのは何ですが、理想的な人格を目指すという方向を、見出していたのでした。この時、どん底に近い経済状態でしたが、心はこの社会制度の中でも、精神性の中心的な気持ちでいたのです。生活に精神的作用できるように、心を正したという事です。
このような、精神性を持って極真空手の指導をさせて戴いたのですから、道場で稽古する人達は、私と相対関係を結ぶことができるような、人が残るようになったのです。そして、このような精神状態の反映として、極真道場という実体的な組織が形成されていったのでした。人格者を目指したからといっても、外的に見ても、肉体的に見ても、普通の人と差があるわけではないのです。しかしながら、内面を見ると、思想的な面、精神的な面、全ては違うのです。道場に人が集まるようになって感じるのは、組織は精神的分野を中心として発展していくのだという実感をするのでした。
このような道場運営をしたので、精神的分野を広げて、心の世界を道場生に確立してもらう事を意識したのです。精神は、道場生に対して、無限大に接することができる能動性を持っているのです。人が持っている欲望は、身体から生じるというよりは、心から生じるという事が分かり始めた時期でした。精神は絶えず作用しながら、無限な欲望を掻き立てるのです。この事を、最低の生活基準の中から学んだという事です。極真の伝統を引きついた、自分が、どれほど価値があるのかという事を、道場を運営して実感したのでした。素晴らしい伝統に対して感謝という事でした。