2016年4月15日(八段語録2749)
自己の成長と創造
大学三年間でほとんどの卒業単位を取得してしまいました。それなりに、教職課程も意識していたので、80単位程上乗せして、簿記と社会の教員資格を取得知る余裕も生まれてきました。何もしないで四年生を過ごすこともできたのですが、学費がもったいないという気持ちが多かったのでした。更に、仙台市内の繁華街の一番町に、極真空手の道場が出来たのです。大学では知識が増えました。そして世間に通用するだけの、知識人としての確立もされてきたのです。そんな気持ちがあったので、繁華街の安斎師範の仙台道場に顔を出したのです。これが、きっかけになって、師範代として道場の運営に携わる事になったのです。何も無い道場生もいない道場に、突如私が指導するという事になったのです。不思議なめぐりあわせである事は間違いないのです。税理士を目指す一方、極真空手道に対する未練がたらたらという事でした。完全にボランティアであっても、師範代の道を選択したのでした。その時は、当然、未来は開けていたのです。税理士への定石を、しっかり歩んでいる所だったのです。
何が不満かというならば、この身体を持て余しているという事でした。この身体を叩き潰すには、煮たり焼いたりしていかなければならないという事を、考え始めていたのです。学問では、三年余りの勉強期間に、肉体の管理は難しいという結論でした。私の本心は、師範代になって、身体を強制的に征服しようとしたのです。すなわち、この身体を木っ端みじんにしてしまうという事でした。強制的に肉体の欲求を絶ち、情欲を除去する方法を選択したという事です。真剣に指導をしました。そうすることによって、身体の気が、さっと抜けて、練習が終わりかける時には、動けなくなるのです。そうなる事で、良心基準が高い状態を保てるのでした。稽古が終わった時の感動は、心が身体を操縦することができて、充実感に溢れるのです。学問を学ぶ世界には、無かった感動という事でした。確かに、組手は自分を殺すような行為ですから、全部肉体は嫌うのです。それでも、その後の感動が私を極真空手へと呼び戻してくれたのでした。
やはり、私には、普通の生活は出来ないようでした。つまりよく食べて、豊かな暮らしをするという事とは無縁という事でした。何としても、自分の肉体を叩き潰すという、組手の世界にハマっていったのでした。当時私と組手をしたメンバーには申し訳ない気がします。それでも、従ってくれたメンバーに対して、今では心から感謝という事です。そのメンバーが今の極真会館宮城県本部の、礎を作っているのです。稽古をして、指導力を磨くわけですから、大学で学習してきた経営学の全てを駆使して、組織体制を整えていったことに間違いはないのです。私自身に対しても、道場生に対しても、心に力を吹き込む稽古を連続させたのです。そうするには、この時の組手の勢いは、今の稽古と比較にならないのです。「心の門を開け」とばかり、とても強いエネルギーに稽古は満ちていたのです。組手では、心に力を圧縮させて、身体を一時引いて行こうとしたのです。ゆえに、組手は、修行であり、悟りの世界を開く、最短距離と位置付けたのでした。心から、身体から強いパワーが出るところまで、稽古は続くのでした。その時に、もうすでに、税理士の選択ではなく、極真の指導者の道を選択するという決意に変わっていったのでした。