2016年4月14日(八段語録2748)
自己の成長と創造
大学三年になると、資金的に底をついてきたのです。勉強ばかりには専念できないという現実が待ち受けていました。そこで、スイミングのコーチのバイトをするようにしたのでした。その時もうすでに、四十三歳ですから、コーチと言っても、男で最年長なのです。その時のスイミング支配人が、北山事務局長です。二年生まで、かなりの単位数を取得していましたので、専門科目を絞って、税務会計という観点で勉強を始めたのです。高橋教授の指導のもと、何を目指したかというならば、税理士という職業でした。学問を追求したいという気持ちが強かったのですが、経済的自立という事を考えると、資格が必要であると、それなりに、いやいやながらでも実務的な学問へと投入し始めたのです。というのも、大学院で、税法と会計の二つの学位を治めると、税理士としての科目免除という道が開けていたのです。もちろん、実務経験の二年だけで、資格を獲得することができたのです。そのような美味しい話は、飛びつきたくなるものです。勉強もやりがいがありました。
さて、税理士になるには、五科目の難しい試験に合格する方法。税務署を退職して資格を取得する方法。そして私が選択したのが、大学院ダブルマスターによって、科目免除で税理士になる方法。この三つの選択肢がありました。学位による税理士という事での方法は裏口税理士のような気がしましたが、それでも、れっきとした資格を取得するという事でした。大学院には、無事入学することができました。ところが、この年に、何故か、社会人入学が大学院でも解放されたのです。小論文と面接だけで、新たに税理士事務所の息子たちが入学してきたのです。一緒に学問をするという事になったのです。彼らは初めから、税理士が目標ですから、実務経験を大学院に持ち込んで議論するようになっていました。純粋に学問をベースに歩んできた私とは、別物という人達でした。極真の修行だけをしていた私と、俗悪社会に染まって歩んできた人たちは、全く肌が合わないのです。その人たちの言動を見聞きして、俗に染まる事を嫌った私は、楽な税理士の道を断念したのは言うまでもありません。
ところで、多額のお金をかけて、税理士という職業を断念したことに、妻が疑問符を投げかけたのは言うまでもありません。大学・大学院と一千万程の学費がかかったので、そうやすやすと断念するという事は信じられないという事でした。どんな職業でもそうですが、社会の一番腹黒いお金の管理を率先するのですから、私が上手に経営者のご機嫌を取って振舞えるかというならば、結論は出てしまうのです。気持ちが純粋でなければ、ならないという主張がありましたので、心が純粋でいられるような職業という事を考え始めたという事は言うまでもないのです。結局、今まで修行してきた極真空手の指導者を、大学院という高学歴を取得しながらでも選択したのでした。
私の身体には、五官というものがあります。その五官がどのようにあるべきであるかという事を考えたのは、言うまでもありません。心は大きいのですが、身体は見えたままです。そうすると、心を汚してまで、そのような仕事は、私には向いていないという結論をつけたのでした。心と身体は常に共鳴していると思うと、心の赴くままに生きたいという欲求は、私をして極真空手の指導者に再び返り咲かせたのでした。