2016年4月12日(八段語録2746)
自己の成長と創造
社会人から大学に入学した私は、学生達よりも、教授との話が合うのです。授業が終わると、そのまま、気の合う教授と居酒屋に良く行きました。別に私は酒を嗜まないのですが、授業の話はもとより、社会情勢から家族の話にまで発展するのです。年齢が近い事もあって、社会生活はそんなに違わないので、対等に話せるのです。もちろん、学問の世界では、「月とすっぽん」の違いはありますが。それでも実学として体験してきた、私との話は、話題が広がるのです。特にゼミでの合宿では、高橋教授のお嬢さん達と、私の子供達が交わりを深めたのでした。山形のサクランボ狩りに出かけて、蔵王山麓の温泉で一泊、コースが毎年続きました。また、石巻の孤島である網地島へ海水浴に二泊三日で、ゼミ合宿と称して家族で出かけるのです。また、学会にも教授の、かばん持ちで良く出かけました。学生でありながら、年齢が近いという事が、充実した学生生活を送る事が出来ました。そして、学問が手に取るように目の前に開けていくのでした。
そうする中で、「私」という概念が、避難民でありながら、貴く感じることができたのです。学問をする中で、自分自身に対しても学問をするようで、あらゆる測定をするのです。ただ測定するだけではく、自分が生きている日常生活から、今まで人生として経験してきた全てを投入するようにするのです。そして、何もない学生でありながら、最大公約数的な存在ではなく、どこまでもいつも「一番大切な存在」として扱うという事なのです。大学に通うという事は、学問をする中で、自分を貴い者と認め、自分という位置である事を、測定すべき基準を立てようとするのです。自分の意志、自分の願う事、自分の好むこと、全て、学問をすることの意義として、価値づけようとするのです。
ところで、何も経済活動をしていないのですが、天が守ってくれるかのように、飢えもせずに、学問に集中することができたのです。そして、いつも心がけたことは、自分と家族の中心は、確かに学生でしかない身分ですが、愛情をベースに学問している、雰囲気を作っていったのでした。自分が学生であるという事実を突きつけて、何事にも取りかかるという事を実践したのです。学問は、人生という経験が先行していたがゆえに、染み入るように、頭の中に入っていったのでした。試験も満点に近い点数をはじき出していたのです。学問を職業にするつもりは無かったのですが、学問を中心として生きている実感がしました。それも出発がそうであるから、学問を追求して伸び進んで、充実感が満ち溢れるようになったのです。そして、この取り組みが自分という存在を絶対視するほどまでに、自分を支えてくれる家族や周りの環境にいる人たちに心から感謝という事でした。
避難民のように何もない時に、取得する内容が一番貴く感じるのです。故郷に帰ってきた取り組みが、経済活動ではく、学問から入ったという事が、自分の誇りになりました。食べ物も贅沢は出来なかったのですが、それでも、人生に前向きである事になるのでした。切り開くパワーを全身に纏って、開拓者の精神を持とうとする自分を誇る事が出来る歩みをしようと必死になったという事です。普通の人とは違った発想は、天が守ってくれるに違いないという確信から、多くの冒険をしたという事になるのです。