2016年4月11日(八段語録2745)
自己の成長と創造

 1994年、四月に東北学院大学に入学を許可されました。この年齢で大学に通うという事は、基本は勉強中心という事もあって、高校生から上がってきた学生とはちょっと違っていました。四十歳で、第一に学問をするという事を意識していたので、大学生活をエンジョイするという事ではなかったのです。社会が動いている、経済理論をあらゆる角度から学ぶという環境を与えられたのです。アダムスミスから始まった経済体系をしっかり自分の価値観にする事と、今まで社会で体験してきたことが、どのような学問的意位置づけにあったかという事の研究を始めたのでした。経済的に困窮は覚悟でしたので、育英会の奨学金を無利子で借りることにしました。更に、国民金融公庫で三百万までの教育資金を融資して貰ったのです。これで、しっかり取り組めるという確証を得たのでした。更に、成績が優秀であれば、授業料が免除されるという学校側の対応にも、順応して、学問を究めると同時に、点取り虫のように成績にこだわったのでした。
 折しも、大学に入学を果たした時に、大山総裁が四月に亡くなったのです。本来ならば、総本部に駆け付けて、対応しなければならなかったのですが、高弟達の権力闘争にまきこまれる恐れを抱いたという事もあって、大学での学問を優先して、分裂の状況は客観的に眺めるしかないという方針でした。とにかく四肢五体目鼻立ちがあるという事で、私自身の頭脳の性能を強化しようとする方向に向かったのでした。四十歳で今まで築いてきた内容を総点検して、リセットして、新たな人生の闘いに挑むという事にしたのです。総裁が人生の基準になるかというならば、モデルケースになっても、どのように人生を切り開くかという事に関しては、参考にはならないのです。大学に入学した期間は、複雑な世の中での関係の全ての事柄から、少しの間離れて、一人静かに自分を顧みる期間として、位置付けたという事です。若き日は、独自色を出して、肩で風を切るように、勢いよく、自尊したのですが、故郷ではそのような事ではなく、相対関係の中の調和を目指すような態度を取ろうと意識したのでした。
 ところで、四十歳まで生きてきて、自分は何故生まれてきたのか、何の目的があって生まれたのか。自分が存在するためには何が必要なのか、そして、前後・左右・上下の関係を、どのように確立するのかという事を、メインに発想したのでした。学問としての経済学、そして実学をも、意識したいという事なのです。租税法、会計、さらに、宅建などの勉強を推し進めたのです。私という現在の実体を、未来に対して、どのようになすべきかという、目的とすべきか、という事を検討したことになります。ゼミでは、当然、税務会計を選択したのでした。テーマは、シャープ勧告をベースにした近代税制の在り方を、徹底して研究しました。指導教官としてお世話になったのが、高橋教授でした。公私ともに、家庭的付き合いをさせて戴きました。
 この時期は、利害打算を超越して、学問に集中した時期なのです。もちろん、多くの友達もできました。年齢が四十歳という事もあって、学生とも教授とも、親しい関係になったのです。それが人生における収穫という事でした。