2016年4月10日(八段語録2744)
自己の成長と創造
故郷に帰ってきて、普通ならば、就職活動をするという事になるのでしょうが、一度も仕事で社員になった事がなかったという事に、こじつけで、日々何をどのようにすべきかと考えたのでした。四十歳からの大学進学という選択肢は、このような状況の中で生まれたという事です。どんな仕事をしてでも、稼げるという実力は付いているという、自負心があったのです。大阪から仙台に引越をして、実際、何も基盤が無くなったのです。避難民のような自分を見つめると、もの悲しいような気がするのが、本来ならばするのでしょう。しかし、極真空手という修行をこなしたという事と、会社を経営していたという気持ちから、卑屈になるという事は無かったのです。何もなくなったという時に、この上なく自分自身が、貴重であるという気持ちが、強くなったという事です。稼いできたお金でではなく、名誉や権力でもなく、裸一貫となった自分の価値を、一から見直そうとする作業に価値を置いたのです。 さて、何も無くなった時に、自分指針が貴いという事を思うのは、相当なエネルギーが必要となるものです。ましてや自分を保障や保護をするという事を、心がけるという事は大変です。第三者には、何もない男にしか、映らないからなのです。それでも、私の場合、極真の有段者であるという事、事業をしてきたこと、これが、自ら身に着けてきた内容であるという事でした。そして、心では自分自身を最高の価値ある存在として、認めさせてきたという自負心が沸々沸き上がってくるのです。ですから、この故郷で示されるべき道は、必ずあるという信念を抱いていたという事です。このような最も貴い価値を他人に、どれほど貴重に、思ってもらうかという事を、課題としなければ、新しい決意と出発をすることは出来ないという気持ちになっていたのです。
ところで、今までの人生の繰り返しではなく、新しい道の開拓という事が、念頭にあったのです。つまり、挑戦です。その中核に据えたのが、大学での勉強でした。それも、経験したことの復習を学問的に整理し、さらに、どのように発展させるかという心構えという事でした。決して人に後ろ指を差させないという事です。それで、新たな伝統を打ち破る実績を残し、存在感を増して、認められるような存在まで目指そうという事でした。そして、自分の歩みが憧憬されるようにしようとしたのです。私の場合、前後左右を考えると、妻がいて、子供がいて、父母がいて、親戚がいるのです。何をやっているのだと言われかねないという事です。もう頼るのは、今まで極真で修行してきた精神力という事だけでした。極真の伝統が入っている限り、故郷仙台で必ず這い上がっていくという、決意そのものでした。もう一度生命の起源まで遡るような、必死な気持ちが渦巻いていたのでした。
結局、大学受験の為に二年の歳月を費やしたことになるのです。特に小論文など書いたことがないので、念入りに文章を書く訓練をしたのです。色々と用事を言いつけられても、うわの空ということで、受験勉強と、それなりの仕事をこなしながら、五人家族を養うという事を前提に、まじめに取り組んだのです。この期間は、空手の休業期に当たるのです。稽古どころではないというのが、実際でした。それでも、自信は無かったのですが、合格発表があった時には、大喜びをしたことを、今となっても新鮮に思い出されるのです。