2016年4月9日(八段語録2743)
自己の成長と創造
故郷仙台に帰ってきて、実家の近くの「ピーコックマンション原町」に住居を構えました。家賃八万五千円、4LDKに、五人家族が住むという事を考えて、広めのマンションを借りたのです。肉体を極真空手で鍛えて、これ以上鍛えることができない、限界まで鍛え上げたという自負もあって、次に何を鍛えようかという事でした。心はどのように鍛えていったらよいのか見当もつかないので、まずは目に見えて分かりやすい、頭脳を鍛えようとしたのです。空手も実践空手、事業も実践そのものでした。それで理論や理念が乏しいという事も自覚して、学問的に今までの歩んできたことを、分析しようとしたのです。大学に入学するには、現役から相当遠ざかっているというハンディもあるので、受験勉強に一年ぐらいは費やさなければならないと思ったのです。社会人入学という手段もあるという事を、小耳に挟んでいましたので、仙台高校に出かけて、かつての成績表を頂いて、受験に向けて準備という事でした。実家に帰ってきて目標がなければ、心が行ったり来たりするし、身体も余してしまうのです。じっとしてはいられない性格なのです。
とにかく、良い方向へ船出しなければならないという、覚悟が出来ていました。もちろん、様々な誘惑が待ち構えているという事を考えると、決して、ネオン街には出向かないようにしようと思ったものでした。そして方向は知的分野の開拓という意識で、社会体験してきたことを、振り返って学問をするという観点にしっかり立つ事でした。私が自覚しようとしたことは、一家の主であるという事です。そして家庭では中心なのです。それはどんなにひっくり返っても、座っても、立っても、その立場は不動であるという事です。そのような意味では、無職の立場に立った自分でしたが、心の位置をどのように確立するかという事が、懸案事項でした。そうでなければ、妻からも家族からも追い出されてしまう、駄目亭主という事になってしまいます。家族から追い出さらないようにという意識も加わって、どんな事でもコントロールと、防御を繰り返しながら、どのような環境からも妨害と被害を、受けることのないしっかりした態度を確立しようとしたのでした。
あらゆることで、気持ちが揺らいではならないという事でした。妻からの反対や両親からの批判に右往左往していたならば、大変な事になってしまいます。方向を定めて確立しなければならないのです。そうした大学で学問をするという方向の設定は、自らの完全な意志とそれに伴う、定着を目論んでいかないと行けなという気持ちでした。もう誰から何と言われようが不動の目標に従って、自分の気持ちと身体が動きはじめ、姿勢を代えないという原則を立てたのです。自分の概念に一致しうる自分を発見するという現象を起こしたのです。このような誰にも理解されない、時期を過ごしたことになるのです。実に深刻でした。
私という存在が、崩れずに理想を追求できるかどうかの瀬戸際という事です。誰も学問をしようとする方向に賛成などしないのです。まして、自分が受験勉強を、四十歳で行動に出るという事は、夢にも思わなかったのです。周辺から生活基盤という脅威を受け、経済的にどのように自立するかという事を考えながら、それでもしっかり方向を見据えていくという事は、並大抵の事ではなかったという事です。生活苦に喘ぎつつ、大変だと思う自分ではないと思ったのでした。