2016年4月7日(八段語録2741)
自己の成長と創造

 大阪でスタッフと連れ立って、良く出没したのが、心斎橋と道頓堀でした。大阪は東京とは違って、レストランの料金が三分の二位でした。いつも通ったのが、西屋のうどん、金龍ラーメンでした。もちろん、オムライスの名店とか、路上でのたこ焼きと、夜に難波、つまり「ミナミ」に行けば、エンジョイしたのでした。驚いたのは、厨房だけが店となっていて、路上で食べるという、金龍ラーメンのようなところがあるという事でした。ニンニクとキムチ入れ放題で、列ができるほど並んでいるのです。この街は高級感がないのです。言葉使いも庶民の延長でしょうか。かなり暴言が多いのです。それでも、四年親しんだのですから、文化が染みついてしまっていたのでした。この時意識していたことは、指導者としての内容を確立するという事でした。生活は一日一日の事ですから、起床四時半を徹底したのです。それから、社員を前にして、最低一時間は話し続けました。話をするという事は、内容を身につけなければならないので、あらゆる書籍に当たったり、セミナーに参加したり、話す内容を、外部から取得する日々を送ったという事です。
 さて、会社を運営するという事では、よき相談相手の大久保氏がいました。彼とは、近いん場所に住んで、お互い同じような子供がいましたので、共同で保母さんを雇い、四六時中何でも検討したのです。支える立場の人間が、しっかりサポートすることで、大きく発展したのでしたという経験をしたのでした。
この時の意識は、どうせ長くて百年歳以上生きることができないのですから、悔いのないような生き方をするという事でした。どのように生きるかというテーマに関しては、「一寸先は闇」という事でしょうか。人生において、生涯を全て分かって生きる人はいないという事です。突然何があるか分からないという事です。この時も、明日何があるか分からないという事を意識していました。真っ暗な夜に、知らない道を歩くように思ったものです。それで、みんなで渡れば怖くないという事を思って、組織作りに奔走したのでした。
 そのように、本格的に深刻に考えたというのもこの頃です。一人で歩むという事は、どれほど、もどかしいかという事です。それだから、その孤独を解消するという事も含めて、指導者として、組織を作っていくという観点に立ったという事です。明日という事を考えると、しっかり塞がれて独房の中のように、窒息しそうな環境の中で歩むと同じように思ったのです。確かに道を切り開いてみれば、一つの峠を越えれば、また一つの峠が現れ、二つの峠を越えれば、三つの峠があり、そこで終わったと思ったら次が待ち構えているという具合でした。一日の出発において、間違えれば、思いがけないところに行ってしまうと思って、四時半起床は守り抜いたのでした。朝早く起きるという事は、船が大海を航海するにおいても、出発した港から羅針盤を観ながら、行くべき目的地に向かって方向線を引きて航海することに似せたという事です。
 それだけに、羅針盤を持って、目標に到達できるように方向線を引く日々を送るという事に徹したのでした。いつの時でも、課題は満載しているのです。その課題を一つ一つ、こんがらがった糸を直すように、日々歩むという事でした。個人としてではなく、指導者としてどのようにしなければならないかという観点の確立をしたのが、大阪なのです。そのようなターニングポイントの地である事を、いまさらながら確認するのでした。