2016年4月6日(八段語録2740)
自己の成長と創造

 関西は、釣りが盛んな地域でもありました。毎週のように船釣りにスタッフと出かけました。特に思いに残っているのは、和歌山の加太港近くで鯛釣りでした。ちょうど、船釣りを始めたばかりでしたから、何もわからない時です。船酔いはするは、仕掛けは、お祭りしてこんがらがってしまうのです。そんな初心者の時だからでしょうか。リールの糸が限りなく持っていかれたのです。根かかりして、引っかかったと思っていたのでしたが、船頭が飛んできて、「お客さん、大物だ」というのです。一緒に乗り合いの釣り人も、釣竿の仕掛けを巻き上げて、船頭の指示に従って、対応し始めたのでした。ここから三十分ぐらい、道糸が切れないように、丁寧に魚とやり取りしながら、やっと海面に大きな鯛が浮上してきたのです。船頭がおもむろに、タモを持ってきて、すくった時には、船中大歓声が上がりました。90センチを超える大物の鯛でした。
 この和歌山の加太港の近くの海域は、瀬戸内海と太平洋の出入り口になっているようです。潮の満ち引きが大きく、川が急流のように渦巻いて流れるようです。その流れが速い潮の時に、釣り船が、ポイント目掛けて何度も往来するのです。壮大な激しい釣りという事です。このような所で、初心者が船釣りをするのですから、迷惑千万というところでしょう。それでも、いくら初心者だからと言っても、釣れたもの勝ちです。この鯛と共にスポーツ新聞に掲載されたという事で、一躍釣り仲間の脚光を浴びたという事は言うまでもありません。それから、もう病みつきになって、毎週のように船釣りに出かけるのです。
 それはともかく、関西での歩みを振り返ってみて、どこに行っても苦労を続けたのです。誰に何かを言われたという訳でもないのですが、自ら進んで開拓するのです。そして人と同じことをするという意識は全くと言ってないのです。大阪は、タンツボをひっくり返すような街ですから、邪気と困難が待ち受けていたという事は言うまでもありません。私の性格ですから、風呂敷を包んで退いてしまうような人格とは違うのです。運命の因縁を超越して勝利の場へと這い上がっていこうとするのです。私の場合、死んでもやり遂げようとする性格ですから、「結果的に、私は満足だ」というように考えてしまいます。あらゆる角度から検討して、「こう、こう、このようにして、」そしてここを過ぎてば、大丈夫というところまで、突き詰めるのです。この関西では、釣りの妙味を覚えてしまいました。もう人生に釣りはつきものという結論を抱いたのでした。
 四年の関西での滞在期間に、妻からは「漁師にでもなったら」と思われるほど、海に足を運びました。串本・潮岬の近海では、八月過ぎからは、カンパチ、ヒラマサ、メジロ、ブリ、そしてマグロといった大物が釣れるのです。例え釣れなくても、ハマってしまって、もう手を付けられないのです。そのように海に魅せられましが、海で釣竿の先を除いているだけで、あらゆる可能性を見出すという芸当まで身に着けたという事です。そのような技は、当然、仕事にも適応することができて、あらゆる窮地に勘が働くのです。その勘がズバリ的中した時には、もう堪えることができない感動が押し寄せてくるのです。そのような関西での刺激的な歩みという事です。