2016年4月5日(八段語録2739)
自己の成長と創造
関西での期間は、家庭を持って、四年間を過ごした事になるのですが、個人時代に、身に着けた全てを投入して、最大の成果を上げた、地域という事になりました。ここで歩んだすべての出来事は、無駄なものは一つもないという事です。今ふり返ると、故郷仙台に帰って、長男として、あらゆる課題を克服して、乗り越えていくための、肥料になっていたという事なのです。もちろん、当時な実家に帰るという事も考えていませんでした。それでも、振り返ると、この関西での期間は、今の自分に成長するために、過程的、すなわち時間的距離を経て目的を成就するために、必要不可欠な期間であったと振り返ってしまうのです。その期間が関西であり、四年に及んだのです。ここで、息子も娘たち二人も出産したのです。男親であるにも関わらず、子供達に対する思いと愛情は、深まるばかりの日々でした。大阪府立体育館での極真空手教室も一週間に一度でしたが、充実して、多くの道場生が巣立っていったのです。家庭や道場そして職場に至るまで、それ自体を維持して発展させる為に、目的に向かって雄々しく、進んでいこうとする充実した日々であったのです。
独身時代があり、夫婦としての家庭時代を迎え、家庭時代は全く、独身時代と違っていたのでした。当然、その時代、時代を生きていく自分自身に、相応しい活動内容になっていったのです。すなわち、独身時代になすべき事を、しっかり全うしなければ、家庭時代を迎えて、力いっぱいに迎えることができなかったという事です。今後の私人生も、今を完全燃焼しなければ、老年時代を力いっぱいに迎えることができないという事です。それにしても、関西時代は、京都、兵庫、和歌山、奈良と駆けずり回りました。それも、指導者としての威厳を持ちながら歩んだという事ですから、自分の輝いた時代という事です。何度もくどいようですが、一生の間の、その時その時に与えられる環境と、仕事を全うできるかできないかによって、自分の将来、迫りくる目的をこなすことができるかどうかが、左右されるという事なのだと思うに至ったのです。そして、今の指導者としての役割を果たせるのも、この時期に遡って訓練されたという事なのです。
確かに青春時代は、全国を彷徨いながら悩み苦しみもしました。どんな才能があるのかも分からず行脚したのです。しかし、大阪で時を迎えて、志を大きくしたという事です。時が準備され、私が決意するならば、一つの新しい歴史を作り出すという事実を、経験の中で学んだのです。人生には、その人にあった、可能性が最大の時が巡って来るものだという事に気づかされました。能力がどうのこうのではなく、時を掴むことができるかどうかという事なのです。新しく移り変わる環境を迎えるにあたって、どうせ進んでいく訳ですから、掴むことが一番大切であると教えられたのでした。時を正しく迎えたならば、そこから成功が転がり込んでくるという事実を、目の当たりにするのでした。時を間違って向かえたらば、負の連鎖が起きて、失敗の連続が繰り返されるのではないかと思うのです。
指導者として、何にも負けない精神力を築いたという時代に感謝なのです。余談ですが、私の先祖は、琵琶湖近くの近江から、東北まで上がってきている家系図があるのです。そうすると、先祖が呼んだ年代という事も、まんざら嘘ではないという気がするのです。