2016年4月3日(八段語録2737)
自己成長と創造

 結果的に大阪で活動していた時期が、一生において大切に思える時期であり、訓練の集大成という位置づけが出来た地域でした。個人として歩んだ東京までの時期、その東京で結婚して新しく磨きをかけた時期、そしてこの大阪は、家庭を率いるという事になったのでした。夫婦から聖義を授かり、家庭を率いる事になった大阪は、最も充実した時であったと振り返るのです。根本の人生観が形成され、それも個人としてではなく、家庭を率いる人生への出発は、大転換という事なのだと思えたのです。朝は四時半には起床して、あらゆるプランを立て、そのプランに従って、猛烈にダッシュするという毎日でした。高熱を出しても、扁桃腺が晴れても、関係が無かったのです。稽古も大声を出しっぱなしですから、肉体の休まるときは無かったのでした。この時期は、東京では九十九里浜でしたが、大阪では和歌山の串本であったり、加太であったり、船に乗って釣りをする日々も送ったのです。ストレス解消には、海釣りが最高に効果的でした。
 さて、一日を観る時に、朝は春の季節のようであり、昼は夏の季節にあたり、夕方は秋、夜は冬のように感じることができます。同じように、私に幼年期があり、青年期があって、壮年そして、老年期があるように思うのです。冬至の時に該当すれば、死を迎えるという事でしょう。すべての道理を考えると、そういう風になると思うのです。一日が、一生がこのようになると思うと、春夏秋冬に該当するのが、全てのように思えてなりません。そう考えたときに、夫婦となって、息子を授かった時が、一番尊い時期ではなかったかと解釈してしまうのです。つまり夏という事でしょう。この時期が自分の人生において、運命を決定した時期であり、壮年時代に入ると、人生前代の問題を解決した時期のように思うのです。こうして還暦を越えたから言えるのかもしれません。当たり前に、全ての人には全盛期が必ずあるはずです。その全盛期がまさに大阪であったと、確信に至っているのです。この期間が、一つの、始点に置かれていると、今は思えるのです。
 ところで、高い山があれば、そこには一番高い頂があります。その分水嶺がどこにあるのかという事が、なかなか分からないのですが、この高い頂が、まさにこの時期であったと思うのです。私が生まれたのち、希望に満ちた時が、いつなのかと振り返るのですが、この血気盛なこの輝かしい時期、桜の花でいうならば、満開の時、香気を放って咲くようなこの時期が一番華やかしい時期でした。このように表現する理由は、別に特別な事ではなく、人生において一般的に言われている、最も重要な一生は、生まれる時であり、結婚するとき、そして死ぬ時という事です。私の妻との結婚は、生きるためにしたのです。そして、息子が生まれ、願いが成就したという事です。ですから、最も頑張る事が出来たし、輝いたという事です。その形態を家庭として整えることができた、人生に感謝という事でしょう。
 そのような大切な大阪時代でした。寝る時間は四時間も無かったのではないかと思う程です。そんな業績の結果も生まれました。誰からも評価されたのです。選手時代を越えて、指導者として大成することができた出発点という事です。それもこれも、妻が千順さんであったからできたという事です。